普及事業は,戦後の農業生産基盤の極端な荒廃のなかで,その活動方法についての検討もないままに,専ら普及関係者の模索と創意によって,さまざまな活動が展開されてきた.それは最悪の条件下での暗中模索であったといえよう.そして,模索の末に今更のように気づいた方法の原理が「教育的」ということであったと解することができないだろうか.教育的とは,前回の小論で述べたように,人間の自覚性に即していくということであった.すなわち,農業政策を背景とし技術を中心として行なわれる教育活動である普及事業は,技術において自己を形成的に自覚する教育活動にほかならないと考えた.このように解される普及活動の教育的方法は,具体的にはどんなかたちになるだろうか.前回の小論において認めた原理の具体化された方法とはどのようなものかに答えたいというのが本論の意図するところである.