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島根大学教育学部紀要 Volume 45別冊
published_at 2012-02-27
美術関係教科の内容構成に関する歴史的考察 : 粘土細工から彫刻への変遷
Historical Considerations on the Subject of the Arts in Schools : Changes from Clay Work to Sculpture
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美術関係教科における彫刻が現在のような芸術表現としての位置づけとなった歴史的経緯を, 明治初期から平成初期までの学習指導要領等の法令の検討から, 次のように明らかにした。(1) 粘土細工としての位置づけの時期:明治期から昭和21年頃までは, 手工・工作に規定された粘土細工であった。(2) 粘土細工から彫刻への過渡期:昭和22年から昭和30年頃までは工芸的な彫刻と芸術表現としての彫塑表現が共存した過渡期であった。また, 従来は工作の一分野でしかなかった彫刻が, 教科内容として単独で高等学校の図画と工作の両方に規定され, 図画においては絵画の次に表記された。(3) 芸術表現としての彫刻が位置づけられた時期:昭和31年版高等学校要領で, 彫刻は芸術科美術の内容に規定され, 芸術科工芸からは完全になくなった。(4) 彫刻から彫塑への名称移行期(安定期) :昭和33年版小中学校要領においても彫刻が規定された。これによって小中高等学校全段階で, 芸術表現としての彫刻が規定された。芸術表現としての彫刻の位置づけが安定していった。ただ名称は「彫塑」が用いられた場合があった。(5) その後―再び彫刻へ, そして立体へ:平成元年から中高等学校では「彫刻」へ再び名称が改められた。また昭和52年から絵画や彫刻といった枠にとらわれず, 表現としての性格をより強めるため, 小学校では「立体」という概念及び名称へ転換していった。さらに徐々に絵画と彫刻をひとまとめにして内容が規定されだした。
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https://doi.org/10.24568/7608
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