Bulletin of the Faculty of Agriculture, Shimane University

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Bulletin of the Faculty of Agriculture, Shimane University 9
1975-12-15 発行

昭和40年代の農産物過剰論について

Note on the Theory of the Over-porduction of Agricultural Products from the latter half of 1960'
Suzuki, Toshimasa
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 昭和40年代の日本におこった農産物過剰問題と食糧問題,これらは,第二次大戦直後の食糧問題を除けば,いずれも戦後最大のものであり,昭和40年代後半は戦後日本農業展開の一大画期を形成することになろう.
 ところで,同じ昭和40年代に生まれたこの農産物過剰問題と食糧問題は,それぞれ別々に論じられるというのがかなり一般的である.それは,食糧問題のとりあげ方によくあらわれている。すなわち,そこではまず「オイル・ショック」,「輸入穀物価格急騰」と「狂乱物価」が問題とされ,次いで日本農業の「構造的脆弱性」,「地力略奪的農法」などが問題とされている.
 しかし,昭和40年代の中ごろには,「日本農業には未曾有の過剰時代が到来しているようである」,「現在の日本農業には,農産物『過剰』現象が,ほぽ普遍的にみられるようになった」,などと言われていたのである.
そして,多くの論者がその農産物過剰の長期的,「構造的」性格を問題とした.したがって,40年代後半の食糧問題の要因をさぐろうとする時,何よりもまず,そのに展開された農産物過剰問題はいかに「解決」されたか,その過程で農業・農民とそれをとりまく環境がいかに変化したのか,そうした結果いかにして農産物過剰問題が食糧問題に転化していったのかが問われねばならないだろう。
 ここに,現在改めて昭和40年代の農産物過剰問題を,単にそれが日本農業にとって画期的な出来事であったからというだけでなくして,とりあげる意義がある.本稿はその準備作業として,この期の農産物過剰論の検討をしておこうとするものである.
 さて,私見によれば,従来の農産物過剰論には三つの流れがあるように思える.一つは,戦前から長い世界的論争の続いてきたr農業恐慌論」の流れであり,二つは,戦中・戦後にさかんになったいわゆる「資本主義体制の全般的危機」,あるいは「国家独占資本主義の矛盾」とかかわらせて農産物過剰を考えようとする流れであり,三つは,とくに日本の農業経済学者の間でさかんないわゆる「小農経済論」の中で小農に特有な農産物過剰を扱う流れである.
 しかしながら,40年代の農産物過剰問題をとりあげた場合,第一の「農業恐慌論」を適用したものはほとんどない.それは,「農業恐慌論」それ自体に種々の異説があるということや,それを適用する場合には単なる農業恐慌論ではなくて現段階の農業恐慌として扱わねばならないという一般的な問題からだけではない.農業恐慌を農産物価格の暴落としてとらえる主流的見解が,戦後の先進資本主義各国の農産物「支持」価格制度に直面して農業恐慌論の適用を思いとどまらせているからである.
 そこで,ここでは第一の流れを前提としながらも第二の流れに入る常盤氏と,第三の流れをくむ田代氏の,ともに昭和45年に発表され,この期の農産物過剰論としては最も代表的な二つの論文をとりあげて検討することにしよう.
 ただ,ここでは細かな点にわたって吟味する余裕はないので,両氏のこれまでの所説や他の論者の所説との関係にまでふれることはできるだけ避け,上記論文の主要論点のみを問題とする.