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島根大学法文学部紀要文学科編 24 巻
1995-12-25 発行
藤原清輔詠歌の父祖詠の受容をめぐって
On Fujiwara Kiyosuke's Reception of his Father's and Grandfather's waka
本文ファイル
a0030024h002.pdf
( 1.68 MB )
内容記述
六条藤家藤原清輔(一一〇四年~七七)は歌学者のみならず歌人としても優れていたことは定家『近代秀歌』にいうがごとくである。稿者はかって清輔の詠歌活動を『古今集』や『万葉集』との関わりで論じたことがある。前者は清輔本『古今集』の本文に拠って詠まれた例歌を挙げて検討したものであるが、これはもとより詠法には焦点をあまりあてずに、清輔本をとりあげた目的を問題にし、当本の優秀さを誇示する意図があると考えておいた。『万葉集』の方は、万葉歌の取り入れ方や制作方法を調べ、著名な歌を充分に理解鑑賞して優美な古語を選び用いること、これらをなだらかな詞の続け柄になるように留意して一首にまとめ上げようとすること、複数の歌を合成して詠作すること、そして内容の面では本歌を意識的にずらして詠むことなどが万葉歌を詠み込む特徴であると結論付けておいた。
では、歌の家柄である清輔が祖父顕季や父顕輔の詠歌をどう扱っているのであろうか。果して、父祖詠を拠り所にしているのが散見されるが、この詠作技法が近親者の歌の場合は万葉歌とは違うのか否かなど大いに興味を持つところである。本稿ではここに重点を置いて論を進めていきたい。
なお、清輔の歌は総数で約六〇〇首存するといわれているが、晩年の自撰かと説かれていることを考慮して『清輔集』所収の四四四首をいま対象としておく。
では、歌の家柄である清輔が祖父顕季や父顕輔の詠歌をどう扱っているのであろうか。果して、父祖詠を拠り所にしているのが散見されるが、この詠作技法が近親者の歌の場合は万葉歌とは違うのか否かなど大いに興味を持つところである。本稿ではここに重点を置いて論を進めていきたい。
なお、清輔の歌は総数で約六〇〇首存するといわれているが、晩年の自撰かと説かれていることを考慮して『清輔集』所収の四四四首をいま対象としておく。
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https://doi.org/10.24568/2390
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