ここに論じようとすることは、小規模古墳はどのような時期に発生しどう推移するかということである。小規模古墳は各地にありふれたものであり、またその副葬品も概ね貧弱であり、皆無のことも多いので余り人の注意をひかぬものである。一般人だけでなく、学者も大形の優秀な遺物を副葬した古墳に比し小規模古墳について組織的な考察を加えることは少なかったように思われる。壮大な古墳は当然広範囲の地域に支配力を及ぽす大豪族の墳墓であるが、その支配下にあってそれを支える者は小規模古墳の被葬者乃至小規模の墳丘をももたない民衆であることを思うと、古墳を通じて当代社会を考えるには大規模古墳とともに、それと並行する当代小規模古墳の実態を知ることが必要であろう。ここではそうしたことを意識して小規模古墳をとりあげることとしたのである。
筆者はかって「村落古墳」の語を用いて今ここに云う小規模古墳に関して論じたことがある。それは当代の村落社会に通じて見られる古墳ということに着眼して用いた語であったが、その中においてここに論じようとすることについても当然ふれたのであった。しかしその後新たな知見も加わり、当時漠然としか云えなかったこともかなり具体的に論じ得るに至ったものもあり、また「村落古墳」を論ずるための基礎作業としても、一応村落という概念をさしおいて、単に小規模の古墳としてここでは考えることとする。なおここでは概ね自身で調査しており熟知している山陰の資料によって論ずることとする。