明治大正の文字を一括して近代文学、昭和文学を現代文学と呼称することが通例になってきたが、明治大正文学もこれをそれぞれの性格から明冶文学、大正文学と区別して考えることが出来る。それぞれの性格の相違は端的に言えば次のようになろう。
明治の作家は大正のそれにくらべて個人の生き方を追求するときにも社会や国家との関連を視野に入れていることがめだつ。明治十年代の政治小説、三十年代の社会小説と呼ばれたもの、また初歩的な社会主義小説などの作家は個人対社会を扱っているが、注目すべきことは個人対国家ということを念頭に置いて筆を執ったものに、二葉亭四迷、北村透谷、森鴎外、夏目漱石などがある。彼等の作品にそれがはっきり現われているものもあり、現われていないものもあるが、彼等の文学に対する態度にそれが認められるのである。
大正の作家になると個人の生き方が中心となって筆が執られるように推移する。社会との関連は社会主義文学においては取りあげられるけれども国家との関連になると殆ど作品から、また作品にならないまでも作家の精神から消失してしまうのである。
以上のことから明治と大正の文学上の性格の相違が生ずるのであるが、それを図式的になるのを厭わずに約言すれば、明治の作家は大正期のそれに比して国家対個人ということを視野に入れているものが多かったということ、そして大正の作家の精神や作品からは国家が脱落し、もっぱら個人の問題が大写しにされるということになる。
明治から大正へのこの文学性格の推移が何を意味するかを考えてみると次のようになるのではあるまいか。
近代文学の展開は個我の覚醒を根幹としていることはよく言われるところであり、またそうなのであるが、明治期においては、個我の覚醒を促した個人主義思想というものは社会や国家とのからみあいにより、それらとの反撥、抗争を繰り返しながらも全般的には社会や国家の近代的発展の線と密接して昂揚して行ったのに対し、大正期に入るとその個人主義思想が社会や国家と離れたところで成熟して行ったということである。したがって大正期の個人主義思想は明治期のそれに比して深まりを見せるがその反面狭いところに入りこんで行ったと見られ、そのことが文学の性格に投影する。
小論は近代文学の明治的性格が大正的性格に転化する過程を夏目漱石の「こころ」をめぐって考察し、この作に現われる「明治の精神」という言葉が近代文学の如上の転化過程において持つ精神史的意味を尋ねようとするのである。