詩の教材は、なぜ、いつも「一つの詩」なのか。この問いは、自明すぎて、これまであまり問われたことがなかった。詩の授業は、ふつう、一つの教材で行われる。まれに二つ以上の詩が使われることがあっても、一つの中心教材があって、あとの詩は補足的な扱いとなる。詩教材の研究方法も、その形態において開発されてきたといえる。
この論文で仮説してみるのは、「アンソロジーの詩」という理論である。「アンソロジーの詩」は、複数の詩を使うが、そのすべてが中心教材であり、アンソロジーという形それ自体を教材とする方法である。そこでは「一つの詩」ではできないような、厚みのある教材研究が可能ではないかと思われる。具体的に「アンソロジー・草」という単元を構想しながら、教材論のレベルで、その可能性について考察してみたい。