島根大学論集10周年記念論文集

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島根大学論集10周年記念論文集 1
1960-02-29 発行

日本書記後世改刪説の再検討

A Re-examination of Interporation Theory of the "Nihonshoki"
友田 吉之助
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内容記述(抄録等)
 日本書紀の成立過程を明らかにするためには、まず扶桑略記に記載されている「和銅五年上奏日本紀」なるものが、存在したか否かが明らかにされなければならないが、それと関連して、日本書紀の後世改刪説を検討してみることが必要であろう。後世改刪説は幕末の碩学伴信友によつて提唱されたのであるが、かれはその随筆「比古婆衣」に収められている「日本書紀考」および「長等の山風」の中において、日本書紀は養老四年に編纂されて後、幾度か改刪されたものであることを論じているのである。信友の後世改刪説ば平田篤胤・飯田武郷・木村正辭博士につて祖述されて来たのであるが、昭和十八年、坂本太郎博士は「日本書紀の後世改刪説について」と題する諭文において、後世改刪説に対して精緻な検討を加え、その結果、日本書紀は養老四年撰修以後において改刷された事実はないとの結論に到達されたのである。
 養老四年に日本書紀が編纂されるまでの過程を明らかにすることと、養老四年以後に改刪されたとする後世改刪説とは、直接には関係はないけれども、信友の後世改刪説の論拠とするものの大半、および木村正辭博士の論拠は、養老四年という時点に関係なく、「現存日本書紀は改刪されたものである。」とする証拠として挙げられているのであり、それを否定する坂本博士の説も、「現存日本書紀は改刪されたものではない。」とされているのであるから、これらの論点のみについて言えば、現存日本書紀は改刪されたものであるか否かの問題になるのであり、それは必然的に、日本書紀成立過程の間題と関連して来るのである。
 「和銅五年上奏日本紀」の存在を肯定または否定する諸説のいずれが正しいかについては、別稿において検討を加えてみたから、小稿においては日本書紀の後世改刪説に検討を加え、その当否を明らかにしてみたいと考えるものである。信友の後世改刪説は平田篤胤・飯田武郷・木村正辭博士によつて継承されたが、篤胤・武郷の説は、単に信友の説を祖述しているに過ぎないから、後世改刪説を批判された坂本博士も、信友および木村博士の説を対象としておられるのであり、わたくしも坂本博士の論述の順に従つて、信友および木村博士の後世改刪説と、坂本博士の否定説に検討を加えてみることにしよう。
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