島根農科大学研究報告

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島根農科大学研究報告 15
1967-01-31 発行

大学生活における学生と教師について

On the Students and Teachers in the University Life
山本 昌木
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内容記述(抄録等)
この小文は,人文科学や社会科学の論文ではない.学生と教師との共同体である大学という場において生きることについて,教育学や倫理学にしろうとの私のささやかな随想文である.
 もう10年近い昔の話であるが,私が学生部長の頃,原水爆反対のため学生自治会が授業放棄を決議した.私は自治会幹部を自宅に呼び,平和を愛する気持はよくわかるが,学問をするために大学の門をくぐった者が,自分自身を棄て去る行動はよくないと深更まで話し合った.その後,学生部長任期満了後であったが,安保闘争が全国的規模で行なわれた.学生と教官との話し合いが持たれたとき,授業放棄を叫ぶ学生達に〟Sei getreu bis in den Tod,so will ich dir die Krone des Lebens geben〝という言葉を引いて学徒として自殺行為にも等しい授業放棄という手段を取らなくても諸君の平和を愛する気持は表明できるのでないかと発言したが,日ならずして自治会のボックスに反動教官一覧表が貼り出され,その中に私の名前も含まれていた.安保閾争はすさまじいものであった.学生達の止むに止まれぬ愛国心の発露だったのであろう.学徒出陣にも似た悲壮感の漂うものであった.
 二十何年か前,私共は学徒出陣の美名のもとに,学園をあとにして兵営へと急いだ.国家危急存亡の秋,剣のみが必要で,もはやペンは必要ないという師団司令部参謀の言葉にいきどおりを感じながらも,「国破れて山河ありというが,国破れて山河はない.国と共に生き,国と共に死のう」というのが当時の学生達を少なくとも表面的には支配していた考え方であろう.私はふと東条さんに号令をかけられた戦時中の日本を思い出した.私は学生達が自分自身で物を考え行動しているのだろうかと心配になった.それ以来,折にふれては,大学,学生,真理,平和などの問題につき考えてみた.しかし,これら一連のことがらはあまりにも基本的であり,あまりにも広汎であり,人文科学者や杜会科学者が長年考えつづけて結論の出ない問題に,植物病理学という自然科学の一分科を専攻するものが取り組むこと自体無理であった.また最近,ある宗教団体に属する学生達がやって来て因果律は科学の世界でも宗教の世界でも成立すると論断した.こうなると自然科学を学ぷ者として科学と宗教との関連性についても考えさるを得なくなった.私は,本学の元非常勤講師逸見武雄博士が御臨終の病床で学生の夢を見るとおっしゃったのを思い出す.このように死ぬまで学生を愛しつづけることができるだろうかと思うと冷汗が流れて来るのである.
 創立当時からお世話になった本学も国立移管のために,いよいよ近いうちに幕を閉じることになる.以上のような理由で,大学に職を奉ずる資格は無いけれども素朴な思索の跡を残して置くのも記念になるかも知れないと思い筆を執ったしだいである.