林業労働問題を分析研究する場合の基本的態度として最も重要な点は,林業労働なるものが,一体いかなる性格のものとして存在し,それが日本資本主義全体系のなかでいかように位置づけられるか,という観点であろう.
およそ,いかなる場合においても,労働問題分析の際には,その対極にかならず「資本」の存在形態ないしはその性格が議論の対象になる.
ところが,一般の企業においては,それを歴吏的に問題とする場合を除いて,「資本」の性格そのものについては,すでに資本主義的企業として自明のものとみなして考察を進めているのに対して,林業の場合,その「資本」にあたるものが,果して近代的企業として前提されてよいものかどうかということ自体からすでに問題なのであり,したがって,その労働の存在形態を明らかにする場合も,その分析によって労働の実態が明らかにされると同時に,その対極たる「資本」の性格も明らかにされるという関係を,つねに考察の範囲からはずしてはならないのである.同時に,林業における「資本」を明らかにすることによって,その対極たる労働の性格も明らかにされるという相互規定的関係にある.
しかしながら,そうした資本対労働の関係のみでこと足れりとするならば,林業の労働問題研究が,特に他と区別して特殊な研究領域をもちうるとは必ずしもいえない.林業が他の一般企業に対して,特殊な領域をもち,それ自体特別な問題として究明されなくてはならない点は「土地所有」との関連においてである.
育林業はもとより伐出業においても,その労働の対象物は土地生産物たる「木材」そのものであり,その所有者たる「地主」が経済関係の片方の主役として登場することになる.わが国における林野所有は「地主的性格」をもつものとして一般に理解されているが,しかし,林野所有を一律に「地主」としてのみ理解するのでなく,その経営の実態に則して,その中での労働の性格の違いを究明すべきである.その上で,「地主的性格」の実態が明らかになり,その意味づけが可能となる.
たとえば,土地所有の性格を反映する林野所有規模により,また大規模林業においても,その経営のあり方によって,林業労働の存在形態は変ってこざるをえない.また,そのおかれている地域の事情によって,その形態も種々である.とはいっても,そうした林野所有による違いや,地域の条件による違いを通じて,林業労働問題として何が描かれるかということが最終的目標であることには間違いがない.
さらに,林業労働が一般に「半農的性格」をもつものであるといわれる場合,それが林野所有の「地主的性格」ゆえにあるのかどうか,換言すれは,林業労働は私的に林野所有があるかぎり,「半農的性格」は避けられないものであるのかどうか,または,その技術的性格からきており,技術の進歩とともに解消される性質のものであるのかといった「林業労働」と「資本」あるいは「土地所有」との関連で明らかにされねばならない問題がある.
したがって,林業労働問題といっても,それはすぐれて,林業の資本主義化の問題,あるいは林業経営の「近代化」の問題を,側面から究明することをねらいとするものである.
この小論では,そうした基本的命題に接近するための第一歩として,主に国有林労働と民有林労働の違いに焦点を合せながら,林業労働の実態分析に主眼をおいている.