ファイル情報(添付) | |
タイトル |
日本体育会・赤間雅彦の舞踊教育 : 大正・昭和前期において
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タイトル |
Dance Education of Masahiko AKAMA (Nihon-taiiku-kai) : the Taisho era and early in the Showa era
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タイトル 読み |
ニホン タイイクカイ アカマ マサヒコ ノ ブヨウ キョウイク タイショウ ショウワ ゼンキ ニ オイテ
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著者 |
中野 祐子
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収録物名 |
島根大学教育学部紀要. 教育科学
Memoirs of the Faculty of Education, Shimane University. Educational science
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巻 | 20 |
開始ページ | 127 |
終了ページ | 139 |
収録物識別子 |
ISSN 0287251X
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内容記述 |
その他
日本において,明治以来,近代的な学校教育が始まり,その歩みの中で,舞踊は,多様な形で関わっている。中でも,大正期は,大正デモクラシーという自由な空気を持つ時代として,特に注目される。
学校における舞踊教育の歩みの中で,特に注目されるのは,東京女子高等師範学校で教鞭をとった指導者たち,即ち,明治32年から36年まで,アメリカのボストン体操専門学校で,スウェーデン式体操及遊戯を学んだ井口あくり,大正元年から4年まで,イギリスのキングス・フィールド体操専門学校でスウェーデン体操を学んだ二階堂トクヨ,大正12年から昭和元年まで,スウェーデン,デンマーク,イギリスで学んだ三浦ヒロ,また,昭和8年から37年までの長期間教鞭をとった戸倉ハルである。 このような官学の流れがある一方,私学では,大正11年に,二階堂トクヨが,「二階堂塾」を創立し,また,大正13年に,藤村トヨが,「婦人と体育」を創刊し,女性の活躍がみられる。 では,この時代に,男性は,どのように,舞踊教育と関わって来たのであろうか。 本研究では,私学で,しかも男性の舞踊教育の指導者の1人である赤間雅彦に視点をあてて,その理論と実践を明らかにすることを目的とする。 |
言語 |
日本語
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資源タイプ | 紀要論文 |
出版者 |
島根大学教育学部
The Faculty of Education Shimane University
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発行日 | 1986-12-25 |
アクセス権 | オープンアクセス |
関連情報 |
[NCID] AN0010792X
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