最近の農家の動きのなかで注目される最も大きな事柄の1つは,兼業農家の激増であろう。昭和25年には専業農家は農家総数の50.0%であったものが,昭和30年には34.8%になり,さらに,昭和35年には34.3%に減少している。しかも,兼業農家のなかで,主として兼業に従事している,いわゆる第2種兼業農家は,昭和25年の21.6%から昭和30年には27.5%,昭和35年には32.1%と激増し,しだいに農業から離れていくものの増大を示している。この傾向は,当然に農業就業人口の減少をもたらすものであるが,農業就業人口の減少ほどには農家戸数は減少しておらず,農業に足を置きながら,兼業所得によって家計費をまかない得たものとみることができよう。たしかに,戦後,農家の生活水準は,絶対的にも,また都市勤労者との比較という限りで相対的にも上昇してきている。しかしながら,こうした家計消費水準の維持は,農業所得の上昇によって可能となったものではなく,兼業所得によって補われて家計費をまかない得たにすぎない。昭和32年度の数字では,農業所得は家計費の60%をまかない得たにすぎないのである。こうした傾向の進行は,農民層の下向分解を意味しており,その本源的な存在形態としては,正しく,つぎの言葉が妥当している。「農村人口の1部分は,間断なく都市プロレタリアートまたは非農業的産業に移行しようとして,この転化に好都合な事情を待構えている。相対的過剰人口のこの源泉は,だからたえず湧出している。だが,都市へのそれの絶えざる流動は,農村そのものにおいて絶えざる潜在的な過剰人口を前提するのであって,この潜在的過剰人口の大きさは,その排水渠が例外的に広く開かれるや否や初めて眼に見えるようになる」 (「資本論」第1巻,長谷部訳993~4貢)だが,注意すべきことは,そのような過剰人口がいかに形成され,累積のメカニズムがどのようなものであるかということであろう。
この小論では,中国地方の4つの山村を事例として,その過剰人口形成のメカニズムをみようとしたものにほかならない。最近における全般的の離農化傾向も,その具体的形態は,農家の労働カと雇用市場との結びつきいかんによって,さまざまな形をとってあらわれるのであるが,山村では概して,地元やその周辺の雇用市場は狭くて貧弱であることは容易に推測されるところであるが,そのような条件のもとでは,おそらく平場の農村とはその内容を異にしているものと考えられる。こうした想定のうえに,山村の零細農民層が,どのような形で,いかなるメカニズムのもとにプール化されているかを分析する。