本研究では, 小学校の教頭として定年退職した筆頭著者が, 現職の時に現職の教師教育者の「危機」(高井良, 2015)であっても, 教師と向き合って支援を行った「ライフストーリー」(高井良, 2015) を語った。語った筆頭著者が,「さらなる指針を得る」(高井良, 2015) ことになり, 「力づけられ」(高井良, 2015) るかどうかを明らかにすることを目的とした。そのために筆頭著者は, 「厚い記述」(ギアーツ, 1987) を心がけた。結果は, 次のとおりとなった。まず, 筆頭著者が語ることができたのは, 「クリティカルフレンド」(Schuck, & Russell, 2005) である教師教育者Cからの問いかけが, 一人では見出せなかった示唆となったためであった。
次に, 語った筆頭著者は, 教師として, 教師教育者としてのそれぞれの考え方を持つまでに生じた変容を比較し,共通点や相違点を見出した。
その次に, 教師教育者としての考え方とは, 現職の時, どんなに現職の教師教育者の「危機」で不安を抱いたとしても授業する教師と向き合って何ができるのかを教師の立場で問うて, 支援を見出し, 行うようにしてきたことであった。
さらに, 当時を語った筆頭著者は, 語った以降も教師教育実践を生きがいと考えた。つまり, 語った以降の「自らの存在証明」を自覚し, 「力づけられ」たのであった。
そして, 筆頭著者が「力づけられ」たのは, 自らの「ライフストーリー」を教師教育者Cに語ったことによると考えられた。