『ソナタ・アルバム』は, Adolf Ruthardt, Louis Kohler の編集・校訂によって,ペータース社から出版されたピアノ曲集である。わが国においても,それと同一内容の楽譜が出版されており,長い間古典ソナタの入門用として広く親しまれてきた。この曲集には,J.Haydn, W.A.Mozart, およびL. v. Beethoven のソナタから26曲の作品が選び集められている。それらの作品は,一般に『ソナチネ・アルバム』終了程度の学習者のための,ソナタ形式の理解と基礎的技術(音楽的理解を伴う)の修得を目的とした教材として重要な位置を占めている。
このように,『ソナタ・アルバム』は,ピアノ教育における基本的な教材であるにもかかわらず,一方においては,次のような問題点も認められる。すなわち,ぺ一タース版は,初版以来現在に至るまで改訂されていないために,近年出版された原典版との間に,記譜上の大きな隔たりが生じていることである。周知の通り,原典版は,綿密な資料準備とその批判を基礎として,作曲家の創作上の意図を最大限に再現しようとするものである。したがって,原典版を用いるのが良いことは言うまでもない。しかし,作品の時代様式や記譜上の慣習等の知識が要求されるために,初級学習者にとっては十分に使いこなせないという問題が生じる。そこで,ペータース版の選曲を尊重しながらも,実用性と原典版の重要性を考慮した2種類の『ソナタ・アルバム』が,最近相次いで出版された。それらは,わが国のK社とS社の『ソナタ・アルバム』である。
本稿においては,ペータース版に依拠している楽譜が一般に通用していることから,ペータース版の楽譜上の問題点を指摘し,さらに,新しく出版されたK版とS版におけるそれらの取り扱いについて検討した。ただし,全作品について考察するのではなく,第1巻に収められている Haydn の作品5曲に焦点を絞った。それは次のような理由による。
1)K版の第2巻が未出版であること。
2)第1巻の学習は,第2巻に比べて早い時期に行われる。この初期学習において,より信頼できる楽譜を用いる習憤が学習者に要求されること。
3)一般に,Mozart や Beethoven に比べて,Haydn のソナタに対する認識が浅いこと。
なお,これら5曲の自筆譜は現存していない。本稿では,2社の原典版,G.Henle 社 : Haydn, Samtliche Klaviersonaten と Universal Edition(国内では音楽之友社): Wiener Urtext Edition ; Haydn, Samtliche Klaviersonaten を参照しながら検討を進めた。