| ファイル情報(添付) | |
| タイトル |
文字通りでない意味への問いかけ : レヴィ=ストロースの比較
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| タイトル 読み |
モジドオリ デナイ イミ エノ トイカケ : レヴィ=ストロース ノ ヒカク
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| 著者 |
三尾 稔
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| 収録物名 |
国立民族学博物館調査報告
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| 巻 | 90 |
| 開始ページ | 97 |
| 終了ページ | 123 |
| 収録物識別子 |
ISSN 13406787
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| 内容記述 |
抄録・要旨
誤解というありふれた現象の比較をレヴィ=ストロースの神話分析を出発点として考察する。誤解というコミュニケーション不全を引き起こす一因として,「蜜から灰へ」では文字通りの意味と比喩的意味という対比が言及される。比喩的意味とは,シニフィアンとシニフィエが直接対応しないことであるが,文字通りの意味も実はその一形態であり,シニフィアンとシニフィエの不整合はシーニュ(語)全般に言えることである。それゆえメッセージは誤解と切り離せないのである。ついでレヴィ=ストロースとは異なる観点からではあるが,文字通りの意味と比喩的意味のずれについて論じたエヴァンズ=プリチャードとリーンハートのアザンデとディンカの研究を検討する。エヴァンズ=プリチャードの研究からは同一の言語ゲームを共有する「共同体」とは,わかり合えないかもしれないことをわかり合っているものたちのことだと考えるべきではないかという視点が提示される。リーンハートのパララックスの概念からは,西洋思想史の中での「自然」という語の再検討が導かれ,「自然」は,レヴィ=ストロースのいう「象徴値ゼロのシーニュ」であることが示される。それはまたレヴィ=ストロースの構造概念が,体系的なものではなくメッシイなものであることを明らかにしてくれる。
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| 主題 |
レヴィ=ストロース
象徴価ゼロのシーニュ
比喩的意味と文字通りの意昧
誤解
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| 言語 |
日本語
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| 資源タイプ | 紀要論文 |
| 出版者 |
国立民族学博物館
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| 発行日 | 2010-03-31 |
| 権利情報 |
国立民族学博物館
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| 出版タイプ | Version of Record(出版社版。早期公開を含む) |
| アクセス権 | オープンアクセス |
| 関連情報 |
[NCID]
AA11751099
[URI]
http://hdl.handle.net/10502/4465
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