| ファイル情報(添付) | |
| タイトル | 
                         本居宣長の藤原為兼評 : 近世に於ける藤原為兼評 
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| タイトル 読み | 
                         モトオリ ノリナガ ノ フジワラノ タメカネ ヒョウ キンセイ ニ オケル フジワラノ タメカネ ヒョウ 
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| 著者 | 
                         
                                    小原 幹雄
                                    
                         
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| 収録物名 | 
                             島根大学論集. 人文科学 
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| 巻 | 11 | 
| 開始ページ | 69 | 
| 終了ページ | 81 | 
| 収録物識別子 | 
                             ISSN 04886518 
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| 内容記述 | 
                             抄録・要旨 
                                本稿は近世に於ける藤原為兼評の一部である。 
                            近世に於ける藤原為兼評は、近世に於いて、藤原為兼がどのように評せられていたか、即ちどのように受け取られ、理解されていたかを見てみたいのがその目的である。 近世に於けるその受け取り方の態度の一般的特色を見ると、為兼の論評に当っては、為兼だけを評するのではなくて、彼の撰になる「玉葉集」を離れることがでぎず、また同じ京極派の「風雅集」を別にすることばできなかった。為兼をも両集をも区別せず、同一の見方で論じているのである。為兼を論ずることは、「玉葉集」・「風雅集」を論ずることであり、「玉葉集」・「風雅集」を評することは、為兼を評することであった。 そういうわけであるので、為兼評と題したのであるが、為兼について述べながらも、おのずから.「玉葉集」評にも「風雅集」評にもわたらねばならないのは、止むを得ないのである。 本居宣長の場合も、その例外ではない。  | 
                
| 言語 | 
                         日本語 
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| 資源タイプ | 紀要論文 | 
| 出版者 | 
                             島根大学 
                            Shimane University 
                     | 
                
| 発行日 | 1962-03-01 | 
| アクセス権 | アクセス制限あり | 
| 関連情報 | 
                             
                                    [NCID]
                                    AN00108183
                             
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