明治・大正期における島根県の農業及び農家副業についての若干の考察

島根大学農学部研究報告 24 巻 60-79 頁 1990-12-21 発行
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ファイル情報(添付)
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タイトル
明治・大正期における島根県の農業及び農家副業についての若干の考察
タイトル
a Study on Agriculture and Sideline in Shimane Prefecture in the Meiji and Taisho eras
タイトル 読み
メイジ タイショウキ ニ オケル シマネケン ノ ノウギョウ オヨビ ノウカ フクギョウ ニツイテ ノ ジャッカン ノ コウサツ
著者
榎 勇
収録物名
島根大学農学部研究報告
Bulletin of the Faculty of Agriculture, Shimane University
24
開始ページ 60
終了ページ 79
収録物識別子
ISSN 0370940X
内容記述
その他
 島根県は全国有数の過疎県として知られているが,筆者はかねてから,全国にさきがけて,どうして島根県において過疎化がおこり,また激しい過疎現象に見舞われるところとなったのか,その要因・背景は何であったかについて明らかにしてみたいと考えてきた.もっとも,このことについてはすでに明らかなところであり,今更問題にすべきことではないかも知れない.というのは,その理由・背景としては,島根県の大半を占める中国中山間地域は交通が不便な上に,経済の高度成長の影響を最も早く受けるところとなった木炭や和牛に,経済生活の多くを依存する地域であったが,一方,中国中山間地域は,言語や生活習慣において比較的近い関係にある瀬戸内地域と地理的にも近いため,高度経済成長によって急激に労働市場を拡大するところとなった瀬戸内地域に,一気に吸い寄せられてしまうところとなった,といった考え方に,今日,異論を称えるものはあまりないと思われるからである.
 しかし,少年時代を山村で育ち,中山間地域の経済生活について,それなりに承知している筆者には,この説明の後半部分についてはともかくとして,前半部分については,必ずしも納得のできるものではなかった.木炭生産や和牛飼育の不振が,過疎化の大きな要因であった,ということであれぱ,それ以前の農家の経済において木炭生産や和牛飼育がかけがえのないほど大きな位置を占めていた,ということでなけれぱならないが,このことについては,必ずしもそうであったようには筆者には考えられなかったし,また,仮りにそうであったとしても,木炭生産や和牛飼育の不振は,過疎化の一要因ではあっても,これが決定的要因であったとは考えられないことであったからである.そして筆者は,過疎化の要因は歴史的なものであると考え,真の要因を明らかにするためには,少なくとも島根県における農業や農家の副業が,明治以降にどのように推移してきたかについて検討してみる必要があると考えてきた.
 もちろん本研究は,こうした問題意識のもとに行われたものである.しかし本格的な研究となると,歴史研究の成果が少ない現状のもとでは,そう簡単ではない.そこで本稿はとりあえず,既存の統計資料を中心にみることとしたものである.
言語
日本語
資源タイプ 紀要論文
出版者
島根大学農学部
Shimane University, Faculty of Agriculture
発行日 1990-12-21
アクセス権 オープンアクセス
関連情報
[NCID] AN00108015