ファイル情報(添付) | |
タイトル |
ニ台のピアノによる実践教育について(II)
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タイトル |
A Practical Education with Two Pianos(II)
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タイトル 読み |
ニダイ ノ ピアノ ニ ヨル ジッセン キョウイク ニ ツイテ 2
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著者 |
吉名 重美
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収録物名 |
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学
Memoirs of the Faculty of Education. Literature and Social science
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巻 | 25 |
開始ページ | 1 |
終了ページ | 10 |
収録物識別子 |
ISSN 02872501
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内容記述 |
その他
Piano Duo の魅力について一言で述べる事は,難しいと考えられる。しかし,次の梅津時比古氏の言葉からもわかるように,Duo の二人の心の感覚の共有を他人に伝達することであると思える。
“音がふと連れてくるものは,何なのであろう。たったひとつの音や和音から,ある感覚や感情が胸に広がることがある。とても繊細なものであり,気づかぬうちに包まれ,言葉を与えようとすると,葉を駆ける雨のしずくのように,消えてしまう。詩人のクロードも,周りをめぐるだけで,それを名付けられなかった。 それはメロディーのように ひっそりと私の感覚に流れ 春の花がひらくように 香りがほのかにただようように だが言葉が来てそれをとらえ 目の前に見せると 灰色の霧のように色あせ 吐息のように消えてしまう。” このようにはかなく,かそけき感情の伝達は,何を創造するのであろうか。Piano Duo を二人でする行為は,上記で表現されている音覚とでも呼ぶべきものを,合奏で作り上げる事である。 この小論では以上のことにふれながら,Bela Bartok のPiano Duo の曲を中心として,Duo の楽しさと魅力,そして筆者が学生と何故 Duo の演奏会を行うかについて論及する。つまり前論文においては精神的内面性の充実から論じた。今回は技術的面の充実を,先達のテクニックから学ばせる為にこの観点から論じる。 |
言語 |
日本語
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資源タイプ | 紀要論文 |
出版者 |
島根大学教育学部
The Faculty of Education Shimane University
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発行日 | 1991-12-25 |
アクセス権 | オープンアクセス |
関連情報 |
[NCID] AN00107952
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