わが国における工場制工業は,明治維新後の官営工場の設立によって第一歩を踏み出した。日清戦争を契機として重工業による工業都市の形成が推し進められ,第一次世界大戦後には重化学工業の発展による工業地帯化がみられるに至ったが,大都市と地方都市における資本制工業の発展の足どりはきわめて跛行的に進められ,地方都市は第二次大戦まで特殊な地域を除いて工業化が極めて遅れた。従って,これら地方諸都市には現在なお在来工業の比重が高く,重化学工業は分散立地しつつ,在来工業との関連をもたないまま現在に至っている。しかし,北陸・瀬戸内等の諸地域には,電力や海運等の諸条件により牽引された重化学工業の立地もすすめられ,漸次工業地帯化への歩みを続けてきた。ここでは,とくに四国瀬戸内地域の地方都市における工業立地の形態を,都市の地域構造との関連において考察する。
従来,この地域の工業立地の要囚として,温暖で自然災害の少い風土,阪神の大消費市場との瀬戸内海による水運の便,豊富な労働カなどが指摘されてきた。しかし,この中には繊維工業のように労働指向性のものもあるが,窯業のように原料指向性のものもある。また,化学繊維工業のように最近の分散工業もあれば,タオルエ業のように在来工業の発展形態のものもある。さらにまた,伊予絣と賃染加工業,あるいはタオルエ業と綿糸工業,縫製業のような関連立地するものもあるし,菓子工業,醸造業のように独立性を有するものもある。従って,工業立地,とくに地方都市におけるそれは,工業生産力の発展諸段階に応ずる立地因子の変動を考察することによってのみ理解しうるものといえる。