『ハンブルク演劇論』の主要部分を占めるのは戯曲の本質規定といふ一般的方向であるが,同時にそこには,時代の激しい転換期にあたって,作者が自らの立脚点を積極的に形成しようとした努力を見ることも出来よう。が,その成立の事情や発表の形式からしても,ここから彼のドラマツルギーの体系的叙述を期待するのは無理であるし,またそれが可能であるとしても,一人の人間に於て詩人と批評家の食ひ違ひを発見した場合,我々は躊躇なく後者を切り捨てねばならない。理論は――その最も精密な姿に於てさへ――詩作ほど精密なものではないのである。要するに,彼が頭に描いた作劇法は,その創作劇の中により全的にその表現を見出してゐるのであり,『演劇論』はその理解の補助的手段としてのみ意味を持つであらう。カタルシス論を中心とした彼のドラマツルギーは,マックス コメレルをはじめ先進諸学者によって殆んど解釈され尽されてゐるので,我々がそれに対して異端を唱へる余地は全くないといってよい。本稿に於ける私の意図は,それらの学者の成果を利用しつつ,また同時にレッシングの創作劇との接触に留意しつつ,彼の描いたドラマツルギーの構想を浮び出させ,その解明を試みることである。
当然のこと乍ら,これは彼の思想的な世界観に辿り着かざるを得ないであらう。レッシングの広範囲の分野に亘る活動は,すべて一つの世界観的中核から発していはばその外延を形成してをり,我々は到る所からこの中核へと引き戻される。言葉を換へて言へば,『演劇論』もまたこの世界観の小宇宙的結晶と見倣されるのである。