厚生省編『厚生白書』(1991年版)が,「真の豊かさに向かっての社会システムの再構築」と題して,初めて廃棄物間題を特集した。この背景には,廃棄物問題が,我が国においていよいよ放置できなくなってきた現実がある。そこに,次のような記述がある。
「物やサービスの生産から消費に向けた諸活動が社会の『動脈』であるのに対し,その過程で生じる廃棄物の処理の問題は社会の『静脈』活動にたとえることができる。今,都市部を中心に深刻な『静脈硬化』とでもいうべき状況が進行しつつある」。
今日の社会システムが廃棄物処理において,あたかも「静脈硬化」のごとき症状を呈しているというのである。この「診断」は,かなりの正確さでもって的を射ている,と考えてよいであろう。
廃棄物問題とは,現代科学と使い捨て文化が生みだした「静脈硬化」,物質循環系の故障がもたらした社会問題である。
物質的な豊かさを追い求めた現代社会は,大量生産,大量消費の道を突き進んできた。我が国において,この過程は,1950年代後半以降の人口の都市集中と重なっていた。都市の生活様式を特徴づける要素のひとつは,自給自足型の農村的生活様式とは異なる商品消費の生活様式である。都市人口の増大は,それ自体が国民経済規模では大量商品消費社会の出現を意味した。都市的生活様式は,次第に,農村部にも浸透していった。住宅以外の生活水準は,1955年には,戦前水準を超えたといわれる。『経済白書』が,1959年版において「消費革命」を指摘したように,この頃から急速に家庭電化製品が普及し,つづいて自家用車の普及となった。個人(各家庭)が,あらゆる生活手段を購入し所有する傾向が進んだ。この傾向に拍車をかけたのが,各家庭に普及してきたテレビ等を媒体とした大量の広告・宣伝であった。広告・宣伝による商品販売の促進は,耐久消費財が普及した今日では,商品の機能性ばかりでなく,ファッション,イメージの流行をますます短期化して商品の寿命を短くし,大量使い捨ての生活様式をもたらしている。
国内における消費量の拡大は,素材生産,組立て加工生産の拡大でもある。さらに,日本経済の特徴として,原料を輸入し製品を輸出する「加工貿易国」であることが,輸出を目的とした生産拡大を推進させることとなった。この生産拡大過程は,産業廃棄物を増加させる過程でもあった。
大量生産,大量消費は,GNPを拡大する。それは,商品の大量消費と使い捨てを美徳とし,大量廃棄物の処理を考慮のそとに置いた社会であった。政府は,生産活動について工業統計や商業統計,農林業センサス等の詳しい生産面の統計をつくり,産業振興と成長政策を推進してきた。消費面についても,1962年から,国際的にみても最も詳細といわれる家計調査を実施してきた。これ等に比べて,廃棄物の実態を把握する努力は十分だったとは言えないし,廃棄物対策となると更に後手にまわってしまった。「ごみ問題は,処理システムの困難さを考慮することなく,経済システムばかりを太らせてきた現代社会構造の必然的な産物(である)」という井出敏彦の指摘は正しい。
大都市圏で処理できなくなった廃棄物は,地方において焼却・埋立てられる傾向を強めている。その傾向は,近年,島根県にもあらわれている。本論に入る前に,誤解のないようにあらかじめ断っておくが,筆者の立場は,廃棄物処理ないし処分場不要論ではなく,現行の処理体系が環境対策を軽視し,新しい環境災害を生み出す原因を拡大していることに問題意識を持つものである。
本稿では,島根県下で浮上してきた産業廃棄物処分場建設計画に焦点をあて,廃棄物処理の環境問題を考察する。