筆者が本学に赴任した1971年の頃は,島根県の地質に関する報文は少なく,化石に関する記録もきわめて乏しかった。化石を多産する場所といえば,浜田の畳ケ浦付近か,松江近くの布志名付近ぐらいしか知られていなかった。これらの産地を訪れているうちに,畳ケ浦では化石が何層準にもわたって産することを知り,これを詳細に検討しようと考えた。この地の軟体動物群については,すでに大塚(1937)が概要を紹介し,門の沢階のものであることを明らかにしていたが,化石の産状や地質については何もふれていなかった。
畳ケ浦の現地でみると,ノジュール群が何列も並列しているのが目に入るし,また化石は,下位の層準と上位の層準との間で種類や量を異にしていることに気がつく。そこで筆者は,1000分の1程度の精度で地質図を作ることが何よりも先決であることを痛感した。そして,当時の地学科学生約10名とともにマッピングを開始した。1972年10月7・8日のことであった。
それ以来,在学生を中心に卒業生や有志の人達をまじえて,日帰りないし2日程度の短期間の調査を実施しながら,調査面積を次第に拡大してきた。他方,数年前より県立石見海浜公園の造成作業が開始されたので,それまでは入りにくかった赤鼻方面の調査が非常に便利になった。現在までに約15回の集団的な調査を行ったが,この間に当教室の卒業研究2人(寺脇1974,都留1981)の地質調査と,化石研究会有志による化石層の調査(1976年8月)があって,研究は大きく進展した。化石自体についていえば,Zalophus sp.(広田1979)やMiogypsina,Vicaryaなどの発見が相いついだ。このようにしてえられた資料は,すべて当教室および筆者の手もとに集積されて,従来の知見よりもはるかに詳しい内容が追加されてきた。
最初の調査からすでに10年をへた現在でも,地質図の一部にはなお未完成の部分があるが,集団的研究によってえられた貴重な資料をいつまでも未公表のまま放置しておくことはできないので,ここに現時点における総括を報告する次第である。