Memoirs of the Faculty of Education, Shimane University. Educational science

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Memoirs of the Faculty of Education, Shimane University. Educational science 22 1
1988-10-31 発行

シュタイナーの人間認識と音楽教育の理論

Uber die Musikpadagogik vom Gesichtspunkte anthroposophischer Menschenerkenntnis
Okubo, Sachiko
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 本論稿はルドルフ・シュタイナー(1861~1925)注1)の創設した自由ヴァルドルフ学校(Freie Waldorfschule)注2)の音楽教育の内容と方法に注目し,その根底にあるシュタイナーの人間観,音楽観を明らかにしようとするものである。シュタイナーの世界観は人智学(Anthroposophie)とも呼ばれ,宇宙の生成史,人間の成り立ちを含む壮大なスケールを持つものである。彼は人間の感覚によって把握しうる世界の背後に,感覚と感覚によって限定された思考を超える世界(Ubersinnliche Welt……超感覚的世界,あるいはHohere Welt……高次の世界ともよばれる)が存在することを自明のこととして自らの思想を展開した。精神の領域を探求する彼の「精神科学(Geisteswissenschaft)」注3)は,こうした感覚ではとらえられない領域を対象としながらも厳密な科学の方法を志向している。
 シュタイナーに対する様々な批判,非難,また誤解に基づく偏見もなくはない。しかしとらわれのない目でみたならば,何よりも70年にわたる教育の分野での彼の思想の実践が実に注目すべき成果をあげていること,また建築,オイリュトミーなどの芸術分野においても,農業,医学など自然科学の領域においても,現代の抱える様々な問題の解決の一つの方向が実践的具体的な活動によって示されていることは疑い得ない。このように広範な分野においてその思想が実践に移され,検証されてきた点で,シュタイナーの業績は他に比類のないものとなっている。そして一人の人間の業績としてはまれにみる多岐にわたるシュタイナーの創造−実践活動の各分野は,それぞれの内容と構造を持つと同時に,彼の世界観である人智学に包括され基礎づけられているのである。
 さて,本論稿の課題である音楽教育の内容と方法に目を転じてみよう。自由ヴァルドルフ学校の音楽教育の方法は刮目されるべきものがあり,そこに含まれている現代の音楽教育の抱える諸問題についての豊かな示唆は,傾聴に値するものである。そして70年間にわたるその成果は疑いようがないものとして衆目を浴びているところでもある。しかしこの教育実践から真に学ぼうとするならば,それを可能にしたシュタイナーの人智学的界観に向かわざるを得ない。
 一見すると,芸術分野での多大な著作の中にあっては,音楽に関するものはとりわけ数少ないようにも見える。それだけにかえって彼の音楽に関する発言は含蓄の深いものとなっている。彼の音楽分野での探究の中心に据えられていたのは,「音楽」ないしは「音楽的なもの」の源泉をとらえることであり,「音楽的なものの本質」を把握することであった。精神世界の探究者であるシュタイナーにとっての音楽とは,興行化された演奏会や,音響機器によって大量に伝達される類いのものではない。世界と人間のうちに音楽的なものとして生き,そして体験されるものなのである。彼はこのような意味で「音楽的なもの」である言語感覚と聴覚,四肢のリズム,呼吸過程と心拍などに関する論及,また和声論や楽器論とそれにかかわる音楽教育の諸問題,更にはピタゴラス派の再解釈ともいうべき「音楽的宇宙論」にも論及している。
 シュタイナーの音楽論及び音楽教育論の固有性は,人智学的人間観に即して音楽や教育を検討し,独自の音楽像を描出しているところからくる。彼の論述はまた即当時の文化,学問,芸術の在り方への痛烈な批判ともなっている。本論稿では彼の音楽論,音楽教育論を,構造体としての人間認識とのかかわりにおいて論述し解き明かしていきたい。そのことによって現代の音楽教育を考える上での新たな知見を得たいと考える。