Memoirs of the Faculty of Education, Shimane University. Educational science

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Memoirs of the Faculty of Education, Shimane University. Educational science 11
1977-12-25 発行

現在完了形についての一考察 : その本質的意味と効果的な指導法

Perfective Aspect of the English Verb : The Essential Meaning and How to Teach It Effectively
kotera, Shigeaki
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 本稿は,英語教育的観点から,英語の現在完了形についてとりあげ,Aspect 的立場から,その本質的意味機能を解明することを目的としつつ、同時に英語教育での効果的な指導に役立てることをもねらいとするものである。それというのも,英語学習者が,この現在完了形という認識の Pattern について,どれほど正確な理解をもっているのか,はなはだ疑問に思われるからである。おそらくその本質的な意味機能の理解は十分ではなく,ただなんとなく漢然と理解しているに過ぎないのではないだろうか。
 教室では通例われわれは、伝統的に,現在完了形のもつ意味用法を,「完了」,「結果」,「経験」,「継続」の四つに分類し,それぞれの典型的な例文を通して指導することになっている。しかしそれはしばしば分類のための分類という指導になりがちであり,生徒のほうも、「(ちょうど)~したところだ」,「~してしまった」,「~した(そしてその結果今は…である)」,「~したことがある」,「ずっと~している」などといった日本語訳を機械的に頭から暗記してかかり,しかもそれを通してのみの理解にとどまる傾向にあるのではないだろうか。そしてそのために現在完了形に出会うたびに,どの訳語を当てはめればよいのかという判断に,英語の読みの重点が移ってしまっているということはないだろうか。もしそうだとすれば,現在完了形について,その本質的な理解は出来ていないと言わざるを得ないであろう。また,英語の現在完了形に対して,日本語ではこのように,「~した」,「~している」などという訳語を用いるが,これらの訳語は,日本語の時制的観念から言えば,それぞれ,過去及び現在であるから,日英両語の間に存在する時制のズレを意識せず,日本語的時制概念で捕えていては,日本語にはない認識の Pattern である現在完了形を正しく理解することはできないであろう。
 以上のようなことと関連して,たとえば,五島・織田(1977:89)に次のような発言がみられる:
 たとえば"He has become a good student"を「よい生徒になりました」と訳す。こんどそれを英語に訳させると"He became a good student."が出てくる。そしてこの文からは,"He was a good student."という認識しか出てこない。たしか出発は"He wasn't a good student."だったはずです。だんだんとズレていって最後に脱線する。競合脱線ということですね。これが多い。一方,"He has become a good student."は,"He is a good student now."ということだと言うと,「そんならなんで最初からそう言えへんねん」と思うらしい。用法の分類に汲々としていて,現在完了の本質という視点からの指導がどうしても抜けてしまう。
ここに示されているような,現在完了形に対する,日本語(訳)に引きずられた誤解もしくは認識不足は,やはり英語教育における一つの欠陥ではないかと思われる。あるいは十分に再考の余地のあるところであろう。つまり,用法の分類に終始してきた今までの英語教育においては、英語の現在完了形は過去時制とどのように異なり,したがってどんな場合に過去時制と区別して現在完了形が用いられるのかといった,具体的で説得力のある,いわば本質的な指導が十分になされてこなかったように思われるのである。