視線のヒエラルキー : William Faulknerの ″That Evening Sun″

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File
a007010h004.pdf 1.19 MB エンバーゴ : 2001-10-07
Title
視線のヒエラルキー : William Faulknerの ″That Evening Sun″
Title
The Hierarchy Inverted by the Gaze : William Faulkner's "That Evening Sun"
Title Transcription
シセン ノ ヒエラルキー WILLIAM FAULKNER ノ THAT EVENING SUN
Creator
Source Title
島大言語文化 : 島根大学法文学部紀要. 言語文化学科編
Studies in language and culture : memoirs of the Faculty of Law and Literature
Volume 10
Start Page (1
End Page 13)
Journal Identifire
ISSN 13423533
Descriptions
短篇集These13(1931年9月)に収められた"That Evening Sun"には、制作段階を示す三種類の原稿があることが確認されている。"Never Done No Weeping When You Wanted to Laugh"と題された手書き原稿は、本短篇の草稿であると考えられている。スクリブナーズ社に断られた後、H.L.Menckenに送られたタイプ原稿は、上記の手書き原稿を改訂したものである。そして、Menckenの示唆により修正を加えて、1931年3月にAmerican Mercury,XXIIの巻頭を飾ったのが"That Evening Sun Go Down"である。"Never Done No Weeping When You Wanted to Laugh"は、24歳のQuentinが9歳の時目撃したことを語るという枠組をまだ備えてはいない。この枠組を採用したAmerican Mercury版、These13版では、語り手Quentinが、行為者、目撃者、語り手という三つのレベルを行き来することで"oscillating relationship between these levels"を作り出している(Ferguson 11O)。そして、Quentinの寡黙さに、子供の精神的未成熟さと表現力の限界と青年のQuentinの感情を同時に反映させるのに成功している。
映画の場面展開を思わせるかのように(Beck 291)、Quentinは目撃される人としてのNancy像を次々に提示する。映画のヒロインは、彼女のクローズアップされた裸体を、欲望の混じった視線によって支配、所有される。一方、我々の前に提示されるNancy像は、作者William Faulknerが子供の視点の高さまで降りて捉えたものであり、幼いQuentinが意味も分からないまま彼の目で捉えた像である。白人優越主義、家父長制を特徴とする南部社会にあって、黒人女Nancyは、二重の意味で周縁的存在である。Quentinは、彼女にどのような視線を向けているのであろうか。
比喩的にも、白人の世界と黒人の世界との境界を意味している"ditch"(309)へ降りた時のことを、Quentinは“I couldn't see much where the moonlight and the shadows tangled."(309)と語っている。人生経験の無さ故の無知という暗がりの中で、目が利かなくて分からなかったのであるが、子供の彼は、自分は一瞬目撃したのであり、自分にとって未知の世界があるということを感じ取っている。
本論においては、Nancyに向けられた視線を考慮しながら、Quentinの語りにおける寡黙さの意味を考察する。
Language
jpn
Resource Type departmental bulletin paper
Publisher
島根大学法文学部
Shimane University, Faculty of Law and Literature
Date of Issued 2000-12-25
Publish Type Version of Record
Access Rights restricted access
Relation
[NCID] AA11147571