ファイル情報(添付) | |
タイトル |
日英語の名詞的トートロジーに関する一考察
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タイトル |
A Study of Nominal Tautology in English and Japanese
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タイトル 読み |
ニチ エイゴ ノ メイシテキ トートロジー ニ カンスル イチコウサツ
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著者 |
平井 昭徳
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収録物名 |
島大言語文化 : 島根大学法文学部紀要. 言語文化学科編
Studies in language and culture : memoirs of the Faculty of Law and Literature
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巻 | 3 |
開始ページ | (15 |
終了ページ | 41) |
収録物識別子 |
ISSN 13423533
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内容記述 |
その他
War is warとかBoys are boysといった"X be X"の形をとる表現は、Either John will come or he won'tやIf he does it,he dose itのような文的卜一トロジー(sentential tautology)と区別して、名詞的卜一トロジー(nominal tautology)と呼ばれる。このような英語の名詞的トートロジーは、日本語に訳そうとすると「XはXだ」となるのがふつうである。
このように名詞的トートロジーに関する限り、英語と日本語の間には並行性が見られる。しかし、このような並行性が言語の壁を越え、どの言語にも共通して見られるかと言えば、残念ながらそうではない。例えば、Wierzbicka(1987)によれば、Boys are boysを直訳的にLes garcons sont les garconsとフランス語に翻訳しても、Knaben sind Knabenとドイツ語に翻訳しても、その表現は意味を成さない。また、韓国語では、もっともな理由もなく泣いている人を見て、その人を嘲笑する意味で英語のYou are youにあたるNoto no idaという表現を用いることがあるが、英語ではそのような場合、例えはIt's just like you―crying for no reason at allのような全く異なる言い方をしなければならない(Wierzbicka 1987 : 98)。 このようなWierzbickaの指摘を見てくると、完全に対応しているように思われる英語の"X be X"と日本語の「XはXだ」も、場合によってはその並行性が崩れることがあるのではないかという推測にたどりつく。本稿では、そのような点も含め、英語と日本語の名詞的トートロジーについて考察する。具体的には、まず1章で、日英語の名詞的トートロジーにどのような形があるかを簡単に見たあと、2章では、英語の"X be X"と日本語の「XはXだ」が談話の中で同一の機能を果たしていることを確認する。そして3章では、そうであるにも関わらず、その並行性が崩れる場合があることを述べ、そこにはどのような要因が絡んでいるのか考察する。 |
言語 |
日本語
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資源タイプ | 紀要論文 |
出版者 |
島根大学法文学部
Shimane University, Faculty of Law and Literature
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発行日 | 1997-07-31 |
出版タイプ | Version of Record(出版社版。早期公開を含む) |
アクセス権 | アクセス制限あり |
関連情報 |
[NCID] AA11147571
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