| ファイル情報(添付) | |
| タイトル | 須恵器より見たる出雲地方石棺式石室の時期について | 
| タイトル 読み | スエキ ヨリ ミタル イズモ チホウ セッカンシキ セキシツ ノ ジキ ニツイテ | 
| 著者 | 
                                    山本 淸
                                    
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| 収録物名 | 島根大学論集. 人文科学 | 
| 巻 | 6 | 
| 開始ページ | 114 | 
| 終了ページ | 125 | 
| 収録物識別子 | ISSN 04886518 | 
| 内容記述 | 抄録・要旨 所謂後期古墳に於ては土器類が副葬されていることは一般の例であるが、この最も普遍的な副葬器である土器を一つの規準としてそれぞれの古墳の時期の前後を定め得るとすれば、それは他の遺物や古墳の特徴を基準として考定するよりは後期古墳に関する限りその適用範囲が広いだけに極めて有利な方法と思われる。ことに土器は他の遺物に比し最も伝世等の可能性の乏しいものと云えるであろうからこの点からしても土器を基準とすることは一層有利であると思う。 前期乃至中期と称せられる様な古い古墳は極めて数も少く、且つその分布も小範囲に限られているが、後期に至つて急速に古墳が至る所に普及して来ることは周知の事実である。村落社会の進展を捉えるよすがにその地域内の古墳の様相を出来るだけ細かに知り度いと願つている筆者は、土器の外は殆ど副葬品を認めない様な微々たる古墳でも出来るだけその時期を握みたいと思うのであつて、その点からも特に筆者は土器による古墳の時期の穿鑿を志している。 土器によつて古墳の時期を考えるためには土器そのものの編年が確立していることが先決間題である。筆者に於ては未だその様な自信を得るには前途程遠いものがある。併し筆者の親しんでいる山陰地方のものに関しては著しく時期を異にすると思われるものについてはその前後に大畧の見通しをしても極端な誤りは犯さない様にも思うので、今ここに出雲地方に多く分布している切石造りの石室のうち石棺式のものについて、試みに卑見を述べようと思う。これについて予め断つておきたいことは、此の地方の古墳は未だ組織的な発堀調査の行われたものは極めて少く、そのため以下に論じようとすることについて今後多少の修正を加える必要は生ずるかもしれないということである。 | 
| 言語 | 日本語 | 
| 資源タイプ | 紀要論文 | 
| 出版者 | 島根大学 Shimane University | 
| 発行日 | 1956-02-21 | 
| アクセス権 | アクセス制限あり | 
| 関連情報 | 
                                    [NCID]
                                    AN00108183
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