| ファイル情報(添付) | |
| タイトル |
愚管抄の成立年代についての池永氏の批判に答えて
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| タイトル 読み |
グカンショウ ノ セイリツ ネンダイ ニ ツイテ ノ イケナガシ ノ ヒハン ニ コタエテ
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| 著者 |
友田 吉之助
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| 収録物名 |
島根大学論集. 人文科学
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| 巻 | 6 |
| 開始ページ | 103 |
| 終了ページ | 113 |
| 収録物識別子 |
ISSN 04886518
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| 内容記述 |
抄録・要旨
愚管抄の成立年代については、伴信友以来問題にされているのであるが、大正十年三浦周行博士によつて、その著作者慈鎮自らが記している通り、承久二年の作であることが詳細に論証された。しかるに大正十三年津田左右吉博士が三浦博士の承久二年説に対して疑問を提起し、承久二年著作は仮託であり、真の著作年代は貞応元年であるとの説を提唱されたのである。それに対して村岡典嗣氏は三浦博士の承久二年説を継承し、新に論拠を加えて津田説を論駁したため、それ以後津田博士の説は否定され、承久二年説が学界の定説になつて最近に及んだのである。わたくしは先年愚管抄の著作年代について、貞応元年に著作され、元仁元年に書き継がれたとする私見を発表したところ、池永二郎氏が雑誌「国史学」第六十四号に「愚管抄の成立年代に関する考察」と題し、詳細にわたつて、拙稿に対する比判を発表されたのである。
池永氏の論考はわたくしの挙げた論拠に対し、一々論駁を加えられているのであるが、その論証には矛盾があり、また氏の挙げられた論拠について讃成できがたい点も多いので、ここに拙稿を草して氏の比判に答え、同時に先に発表した拙稿において、説明が不充分であつたため、誤解を招いた点もあるように考えられるので、それらの点について補説し、大方の批判を仰ぎたいと考えるものである。 |
| 言語 |
日本語
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| 資源タイプ | 紀要論文 |
| 出版者 |
島根大学
Shimane University
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| 発行日 | 1956-02-21 |
| アクセス権 | アクセス制限あり |
| 関連情報 |
[NCID]
AN00108183
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