島根大学法文学部紀要. 文学科編

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島根大学法文学部紀要. 文学科編 3 2
1980-12-25 発行

Tristram Shandy におけるヨリック

Yorick in Tristram Shandy
能美 龍雄
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内容記述(抄録等)
イギリスにおいては,18世紀中葉ともなれば,それまでの何かからの自由ないし解放をひたすら追い求めるという時代は去り,獲得された市民的自由をいかに個々人の実生活において生かして行くかが問題となってくる。そういう余裕から出現するのが,Sterneの文学である。
スターンは新旧のあらゆる学問を駆使して,彼独自の才能により,市民社会の文学形式ともいえる小説の可能性を大幅に拡大した作家でもある。Defoeから歩み出した近代小説はわずか半世紀の間に,The Life and Opinions of Tristran Shandy,Gentlemanにまで成長し,市民社会の文学というコンテクストの中では捉えるのが困難なほど知的に高度化してきた。さらに,スターンはChesterfield卿や,Popeの友人でGloucesterの主教Warburtonの庇護を受け,当時最も有力な名優Garrickと親交を結び,Reynoldsには肖像画を,Hogarthには挿絵を描いてもらい,当時の宰相Pittには献辞を認めてもらい,ロンドンの社交界の寵児となり,宮廷にも出入りするようになった。かつて小説によりかくも社会的名誉を受けた者はいない。小説がここまでスターンを押し上げたのである。
イギリス近代小説の歩みを市民の「自我意識」という見地から捉えることも可能であるが,スターンの場合,市民的自由の完成段階にある作家として,確立した「自我」を余裕を持って再確認していると考えられる。文化遺産の圧力を遊びの方向に向かわしめたところにスターン文学の特徴があるが,「自我」をも遊びの精神で眺めているように思われる。小論では,そういう彼の「自我意識」について検討してみたい。