Piano Duo の魅力について一言で述べる事は,難しいと考えられる。しかし,次の梅津時比古氏の言葉からもわかるように,Duo の二人の心の感覚の共有を他人に伝達することであると思える。
“音がふと連れてくるものは,何なのであろう。たったひとつの音や和音から,ある感覚や感情が胸に広がることがある。とても繊細なものであり,気づかぬうちに包まれ,言葉を与えようとすると,葉を駆ける雨のしずくのように,消えてしまう。詩人のクロードも,周りをめぐるだけで,それを名付けられなかった。
それはメロディーのように
ひっそりと私の感覚に流れ
春の花がひらくように
香りがほのかにただようように
だが言葉が来てそれをとらえ
目の前に見せると
灰色の霧のように色あせ
吐息のように消えてしまう。”
このようにはかなく,かそけき感情の伝達は,何を創造するのであろうか。Piano Duo を二人でする行為は,上記で表現されている音覚とでも呼ぶべきものを,合奏で作り上げる事である。
この小論では以上のことにふれながら,Bela Bartok のPiano Duo の曲を中心として,Duo の楽しさと魅力,そして筆者が学生と何故 Duo の演奏会を行うかについて論及する。つまり前論文においては精神的内面性の充実から論じた。今回は技術的面の充実を,先達のテクニックから学ばせる為にこの観点から論じる。