渡部寛一郎文書は、渡部寛一郎日記、剪淞吟社に結集する人々の漢詩と関連文書、若槻礼次郎ほかの渡部寛一郎宛書簡、私立中学校修道館など渡部寛一郎が関わった教育関係文書などで構成されている。中国文学・歴史学などの学際的研究によってこれらの諸文書を解読・分析し、近代日本の漢詩文学と政治文化の関連を山陰地域に即して実証的に追究することが本プロジェクトのめざすところである。今回は、渡部寛一郎日記第二冊(明治三十一年・三十二年)の手帳の後半部分を翻刻紹介する。渡部寛一郎が、彼が校長を務めた修道館中学の経営のために、主に東京で活動する様子が克明に記されている。
Watanabe Kanichirou(1854-1938) was an influential educator in Shimane prefecture and the head of the society in support of Wakatsuki Reijirou(Kokudoukai). Here continued from the last number we transcribe his diary written on 1898-99. Through this diary we can perceive how he as the principal of Shudokan school devoted himself to develop his school and made relationship with important persons of educational society and statesmen and beaurocrats.