「教養」という語はよく用いられるが,その概念規定は必ずしも明確でない。この概念に関するAristotelesの考えを検討することは,名を正す上に,あながち無意義ではないと思うのである。もつともAristotelesは,今日われわれの言うところの「教養」を論究の主題として取上げ,これを精細に論ずることをなさなかつたようである。ただ別の問題を追求するに当り,時としてこれに触れ,その抱懐するところをもらすに過ぎなかつた。即ち,Metaphysica(形而上学)を始め,種々の著書のそこここに見ることができるが,ここでは最も包括的と思われる De parlibus animalium(動物部分論)の記述を当面の手掛かりとし,他を参照しつつ,考察することにする。