島根農科大学研究報告

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島根農科大学研究報告 12
1964-01-10 発行

和辻博士はマルクスの人間学をどのように捉えたか : マルクス人間学に対する和辻人間学の批判の批判

In what way did Dr. Watsuji grasp Marx's Anthropology? : A Critique on Watsuji's anthropological Critique on Marx's Anthropology
Toyota, Tamotsu
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和辻門下の私が和辻先生の人間の学の一部に対して批判めいたことをなすということは,不遜であると感ぜられるかも知れないが,私自身は不遜な,あるいは不逞な心根を寸毫ももっているのではない。私は和辻先生の高くそして深い学恩を寸時も忘れたことがない者の一人である。私は先生に対して限りない敬慕の念をいだいているが故にこそ,先生の人間の学の方法を遵奉して,先生の理説に批判の目を向けようとするものである。
 先生の人間の学の方法は解釈学的方法といわれるものであり,その真義は,還元・構成・破壊の三つの方法にある。この中,還元は消極的であるが,構成は積極的であり,さらにこの構成は破壌を前提する。だからして,破壊なしには解釈学的方法は極めて不完全なものになってしまうであろう。では解釈学的破壊とは如何なることを意昧するか。「破壊とは,どうしても用いなくてはならない伝承的概念を,その作られた源泉に返し,批判的に掘り起こすことである。即ち伝統の発掘である。」ところで和辻博士によると「伝統とは『表現』以外の何者でもない。」伝統の発掘が解釈学である所以は,それが表現であるからである,表現は人間存在の表現であり,そして表現は「歴史的に限定せられて」おり,また「あらゆる時代に如何なる人に対しても同じ仕方で接近せられる。」ものでもない。だから表現としての社会とか,生産関係とかは,歴史的に限定せられており,またそれらに対してマルクスが接近した仕方と和辻博士が接近した仕方とは異なっていなければならない。さらにマルクスの人間のとらえ方に対する和辻博士の接近の仕方と私の接近の仕方とは異ならねぱならない。博士の門下生たる私がマルクスの人間学を解釈する場合,博士のマルクス解釈をそのまま踏襲することは許されない。解釈学的方法による和辻博士の「哲学的認識は本来的には歴史的認識である。」博士のマルクス人間学の解釈を「批判的に掘り起こし」「破壊」し,しかしそれを「無用のものとして否定するのではなく,積極的に己れのものとする」ことこそ,正に和辻博士の教えである。このようにして私がこれからなそうとすることは,実に和辻博士の教説そのものに依拠しているのである。