明治38(1905)年鳥取県の竹島漁業者の存在形態 : 東伯郡琴浦町赤碕地区を事例として

社会文化論集 18 巻 39-58 頁 2022-03-10 発行
アクセス数 : 1490
ダウンロード数 : 301

今月のアクセス数 : 57
今月のダウンロード数 : 3
ファイル情報(添付)
タイトル
明治38(1905)年鳥取県の竹島漁業者の存在形態 : 東伯郡琴浦町赤碕地区を事例として
タイトル
Existence Form of Takeshima Fishermen in Tottori Prefecture in the Late Meiji Period : A Case Study of Kotoura Town, Tohaku District
タイトル 読み
メイジ 38 ( 1905 ) ネン トットリケン ノ タケシマ ギョギョウシャ ノ ソンザイ ケイタイ : トウハクグン コトウラチョウ アカサキ チク オ ジレイトシテ
著者
収録物名
社会文化論集
Memoirs of Faculty of Law and Literature, Shimane University
18
開始ページ 39
終了ページ 58
収録物識別子
ISSN 18802184
内容記述
その他
竹島が島根県に編入された、明治38(1905)年において、鳥取県中部の琴浦町赤碕地区の住民のうち、竹島へ渡海し、アシカ漁業を行った人物の具体像、存在形態を明らかとした。具体的には、資本家=廻船業者・船頭・漁師と組織的に、竹島でアシカ漁業を行っていた。赤碕の住民が竹島のアシカ漁業に参画したのは、赤碕が、江戸時代以来海運業が盛んで、港には帆船が出入りし、廻船問屋が存在していたこと、竹島への渡海には、食料・漁具・漁獲物を運搬する帆船が必要であったこと、竹島への渡海には、沖乗り航路を通る航海技術をもつ船頭の役割が重要であったこと、明治30 年代には鉄道の開通により、海運業は衰退しており、赤碕では従来の海運業からの転換、新機軸の産業が必要とされていたこと、海運業が衰退していたものの、帆船は朝鮮の鬱陵島まで貿易をしており、鬱陵島へ渡海の際に、航海の目印となっていた竹島の存在を認識していたこと、赤碕は鳥取県有数の漁村で、様々な水産物が捕られ、加工され、さらにはシイラ漬漁業により、沖合漁業にも関与していたことといった赤碕の地理的、歴史的特性と関係していたと考えられる。
主題
竹島 ( その他)
アシカ ( その他)
海運業 ( その他)
航海技術 ( その他)
沖合漁業 ( その他)
言語
日本語
資源タイプ 紀要論文
出版者
島根大学法文学部紀要社会文化学科
Socio-cultural Studies, Faculty of Law & Literature
発行日 2022-03-10
出版タイプ Version of Record(出版社版。早期公開を含む)
アクセス権 オープンアクセス
関連情報
[NCID] AA12006101