| ファイル情報(添付) | |
| タイトル | Mourning Becomes Electra序論 : 文学享受の成立をめぐる覚え書き | 
| タイトル 読み | MOURNING BECOMES ELECTRA ジョロン ブンガク キョウジュ ノ セイリツ オ メグル オボエガキ | 
| 著者 | 
                                    山名 章二
                                    
                         | 
| 収録物名 | 島根大学文理学部紀要. 文学科編 | 
| 巻 | 8 | 
| 開始ページ | (139 | 
| 終了ページ | 148) | 
| 内容記述 | 抄録・要旨 Mourning Becomes Electra(1931年初演,以下MBEと略す)はEugene O'Neillが時間をかけ力を注いだ野心作である。ギリシャ悲劇に関する知識はかならずしも正確ではなかったようであるが,この作品における著者の企図は,ギリシャ悲劇に表現されているような運命感を神々のかかわらないかたちで,現代心理学のあきらかにするところによって再現することにあった。AeschylusのOresteia三部作を土台とし,南北戦争時のアメリカの物語を構築したが,O'Neill自身はギリシャ古典が表面に出ることを考えてはいなかったし,また後になってMBEをいっそう心理劇と見る気持が強まったことを表明しているが,観客・読者も批評家・研究者もこの土台に惑わされてきたことは事実であり,後に触れる論文では,FrenzとMuellerは,O'Neill自身も惑わされていたと論証する。 実際に接してみると,明白すぎるほどのギリシャ古典の土台が読み手とアメリカ現代の作品のあいだに立ちはだかる感じはいなめない。手の届かないはがゆさを覚えるのである。また作品と取り組んでみても,土台が邪魔をして印象の消化不良をおこし無力感を禁じえない。土台あるいは下敷きの事実とそれに対する意識とに縛られてMBEに関して物が言いにくく,そのためにこの作品に正面から取り組んだこころみは多くはなかった,と概略的に言うことができる。 本論は上述の事情全般に含まれる問題をいくつかの観点から光をあて整理し,かつ関連する文学享受の問題点を概観しようとするこころみである。それぞれの観点は相互に直接の関連を持たないが,延長線上において,目指すところは一致する。 | 
| 言語 | 日本語 | 
| 資源タイプ | 紀要論文 | 
| 出版者 | 島根大学文理学部 Shimane University, Faculty of Literature and Science | 
| 発行日 | 1974-12-28 | 
| アクセス権 | アクセス制限あり | 
| 関連情報 | 
                                    [NCID]
                                    AN00108037
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