タイトルヨミ | MATTHEW ARNOLD ト シゼン
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日本語以外のタイトル | Matthew Arnold and Nature
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ファイル | |
言語 |
日本語
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著者 |
吉村 昭男
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内容記述(抄録等) | Matthew Arnold(1822-88)は幼少の頃から,父Thomasの友人であった自然詩人Wordsworth(1770-1850)に愛せられて「その蔭の下に」育ち,その死(April23)に際しては直ちに哀詩(‘Memorial Verses,’(April27;故人埋葬の日))を故人に捧げ,後年(1879)においてもWordsworthianを自称する"a direct heir of Wordsworth"であり,このようにして一生変わることのない敬愛の情を示した。一方,周知の通り,彼は詩の伝達機能(interpretative power)を二つあげ,"moral profundity"とともに,"natural magic"の必要性を強調している。しかもアーノルドには,自然をうたった詩も少くない。しかしながら,われわれはアーノルドをモラリストと呼びえても,ワーズワスのように自然詩人である,とすることはできないのである。その理由として,歴史的観点から,社会派ヴィクトリアンと個人主義者・ロマン派詩人との,A.Roperのいう「自然の真理に対する探求方法の違い」が当然考えられるが,小論では,具体的にアーノルドはまず自然をどう考え,そして彼と自然との関係は実際どうであったのか,をワーズワスの場合と比較しつつ考察してみたい。
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掲載誌名 |
島根大学文理学部紀要. 文学科編
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巻 | 9
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開始ページ | (67
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終了ページ | 85)
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発行日 | 1975-12-27
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NCID | AN00108037
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出版者 | 島根大学文理学部
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出版者別表記 | Shimane University, Faculty of Literature and Science
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資料タイプ |
紀要論文
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部局 |
法文学部
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他の一覧 |