タイトルヨミ | シャカイ ニンシキ ニオケル カガクセイ ト ジッセンセイ
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日本語以外のタイトル | Objectivity and Practicability in Social Cognition
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ファイル | |
言語 |
日本語
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著者 |
勝部 邦夫
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内容記述(抄録等) | 社会科において論争のある諸問題controversial issuesの指導は恐らく最も教師を悩ませる困難であるが,それは政治・経済・社会的分野においてとりわけ著るしい。これは,現行学習指導要領の改定にあたってこの分野の歴史的部分が大巾に歴史的分野に移され,政経社分野が主として現在の社会事象の学習をなすにいたったことが1つの原因であると考えられる。けだし,現在の社会事象には理論的にも実際的にも未解決にして論争の焦点となっているものが多いからである。こうした論争的な諸問題は社会科で避けることができないし,逆にそれらをカリキュラムに含めることは社会認識を高める上に缺くことができない。ある学者は論争的な諸問題の学習が少なくとも2つの目的に役立つといっている。すなわち第1に生徒が社会的争点となっている複雑な問題の現実的認識を深めることであり,第2に,それによって彼らが未解決の問題に当面して生きるための準備をととのえることである。
さて,科学的社会認識を育てるという場合,その杜会認識が社会科学の成果にもとづいていることを意味する。しかし,1つの社会事象についての異なる解釈が,しかも対立的な複数の解釈が併行しているとき,社会科学の成果ということは現実の学習指導の場でどんな具体的内容をもちうるのであろうか。たとえば経済学習の場での,いわゆる近代経済学的認識とMarx経済学的認識との対立を想起すればこの問題の困難さがわかる。ひとしく社会科学の権威のもとに1つの社会事象に対立的な解釈が存在するとき,社会科学の成果にもとづく学習指導,したがって科学的社会認識の形成とはどんなことなのか。 社会科教師の当面するこの問題を,MaxWeberの方法論を手がかりに考えたのが以下の試論である。ただこれは学習者の認識能力,批判力の一定の発達段階,ほぼ中学狡3年以上を前提としての議論であることを付記しておきたい |
掲載誌名 |
島根大学論集. 教育科学
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巻 | 15
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開始ページ | 77
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終了ページ | 85
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発行日 | 1965-12-25
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NCID | AN00108117
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出版者 | 島根大学
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出版者別表記 | Shimane University
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資料タイプ |
紀要論文
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ファイル形式 |
PDF
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著者版/出版社版 |
出版社版
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部局 |
教育学部
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他の一覧 |