大鏡は物語風歴史の鼻祖として、わが史學史上において占める位置ば高く評価さるべきである。從つてその研究は早くから史學者に注目され幾多の論著が公にされている。しかしながら、これら諸學者の研究は主として文献學的研究であつて、その歴史思想の具体的研究は残された課題と言わねばならない。わたくしは今この課題に、蟷螂の斧を試みようとするものである。歴史思想の研究の基礎的研究として文献學的研究の必要であることは、言うまでもないことであり、大鏡の如くその著者・著作年代の不確定なものについては、これが研究はとくに重要であるが、先學の研究によりほぼ明らかになつたので、これを基礎として、その歴史思想を省察することとする。
大鏡の著作年代については、作者みずからは萬壽二年(一〇二五)の著作の如く装つているが、それが真の著作年代でないことは、つとに先學の指摘されたところであり、平田俊春氏は詳紬な論文を発表されて、鳥羽天皇の代(一二世紀初頭)と断定された。著作者については井上通泰博士の源遺方説、関根正直博士の源経信説、西岡虎之助氏の藤原能信説、山岸徳平氏の源俊明説、平田俊春氏の中院雅定説等がある。著作者の考證は當面の目的ではないが、天台教學の教養深い貴族によつて著作されたことは疑いないであろう。わたくしは先学の説に従って、大鏡をもって、平安末期、保元の乱前三十年頃、天台教学の教養深い一貴族によって著作されたものとして、大鏡に現れた歴史思想を叙述形態、叙述の態度、歴史的推移についての思想の、三つの視点から明らかにしたいと思う。