『竹斎』といえば、まずその構成の何ともいえぬ混沌が取り上げられることが多い。 「緊密性に乏しい構成」 「遊離性」 「複合性」 「混交」 「混在」 「夾雑」 「多様」等、評語は様々であるが、指す所はほぼ同じと見て良いであろう。私もかつて「八方破れともいうべき破綻の多い作品」と評したことがあった。
勿論それが『竹斎』にとって致命的な欠陥であるというわげではない。そうは言いながら『竹斎』は仮名草子中ではまず第一級の興趣を誇る作品である事は大方の認めるところである。何と言っても主人公竹斎の魅力は絶大で、「この可笑人物は『竹斎』の成立時点では先例がなかった」と言われる新鮮さは疑い得ず、「近世初頭の新しい典型」として、多くの後続作品に量り知れぬ影響を遺したのも周知の通りである。しかもこの人間像は、「混沌」どころか、たとえば六十余年も後の『冬の日』五歌仙の冒頭句、芭蕉の「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」からも窺えるように、当時の多くの人々の心に鮮明なイメージを刻み込み、かつ親しまれた人間像であった。
彼は別に尊敬されるべき徳性の持ち主ではない。今日の語で言えば正に「落ちこぼれ」の一人である。「可笑人物」と目されるのも、読者から一段も二段も低く見られて当然の人物であるからに違いない。しかしそれだけなら珍しいことでも新奇なことでもない。古来そういう人物は多く描かれ、豊かな笑いを提供して来た。それがどうして「新しい典型」人物たり得、かくも長く親しまれることになったのであろうか。
竹斎は確かにその成立時点では特異であった。その人間像についても既に多くの研究成果が重ねられているが、私もいささかその流れに棹さした事もあるので、研究史的な展望はくり返さたいことにする。本稿では、そういう特異にして確乎たる人間像が、どうしてあの破綻の多い構成の中から生み出され得たのか、ひょっとすればそういう構成こそがその創出に必要だったのではないか、もしそうだとすれぱ、それを必要とした作者の主題は何か、どうしてそういう方法をとったのか、というような諸点について考察を進めてみようと思う。