島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学

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島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 19
1985-12-25 発行

帛書「五行篇」の思想史的位置 : 儒家による天への接近

The Position of "Wu xing Pian" on the history of Chinese Philosophy : An Approach to Heaven by Confucian
浅野 裕一
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内容記述(抄録等)
 前漢の建元元年(紀元前一四〇年)、父景帝の後を承け、前年即位したばかりの武帝は、賢良の筆頭に挙げた董仲舒に対し、政治の要諦を下問する。董仲舒は三度に及ぷ武帝の諮問に応えるべく、春秋公羊学の立場から、著名な天人三策を上奏する。武帝がこの対策を裁可・受納したことによって、儒学は唯一正統な官学、すなわち漢帝国の国教として公認され、それまで漢の思想界に主導的地位を占めていた黄老道をはじめ、漢代に入ってもなお勢力を保っていた諸子百家の学は、国家の中枢よりことごとく排斥されるに至る。これこそは、以後二千年に亙り中国世界の基本形態を規定し続けた、儒教一尊体制の成立を告げる、思想史上画期的な重大事件であった。
 ではいったい何が、かくも劇的な儒家の勝利をもたらしたのであろうか。従来の中国思想史研究においては、孔子以来の儒学を集大成し、漢代の儒学へと橋渡しする役割を果たしたのは、戦国末の荀子であったと説かれることが多い。だがこうした思想史の捉え方には、重大な疑問を抱かざるをえない。なぜなら、董仲舒の儒学が天譴・災異を説いて止まぬ強烈な天人相関思想であるのに反し、荀子の儒学は、天人相関を断乎否定する「天人之分」の主張を、その重要な特色としているからである。したがって、もし董仲舒の儒学が、荀子の思想的遺産を承け継ぐ形で形成されたのだとすれば、天に対するこの両者のあまりにも極端な差異は、到底説明しがたい断絶、解決のつかぬ難問として、われわれの前に放置されざるをえないのである。
 とすれば、荀子と董仲舒とを連続的に理解しようとしてきた、これまでの思想史的枠組みを大きく超えた立場から、この時期の儒家思想の流れを捉え直す必要があろう。小論は、近年出土した古伏書「五行篇」の検討を通して、春秋・戦国から前漢武帝期にかけての儒家思想の展開を、再検討しようとする試みである。