スポーツ社会学の研究が本格的に行われるようになったのは第2次大戦後のことであり,他の諸学に比し,その歴史は極めて浅い。それだけに問題も多く,特に方法論や理論の面において著しい。かつて影山は,実態調査をすればすべて体育社会学的研究であるかのごとき傾向があると批判し,近年でも多々納は,種々の研究が他の研究とは全く無関連のまま存在し,断片的データの彪大な集積のみがもたらされていると述べ,概念と理論の欠如を鋭く指摘している。また,菅原は基本的な概念の曖昧さ,研究方法論の不十分さ等からみたとき,科学としてのスポーツ社会学,体育社会学の幼稚さを認めないわけにはいかないと述べている。このようなスポーツ社会学の現状は,非難を恐れずに言えば,第一に我々研究者の科学理論や基礎科学(の一つ)である社会学理論に対する関心の稀薄さあるいは認識の低さに起因していることを卒直に認めなければならない。第二の要因は,スポーツ社会学における研究の多くは興味本位のあるいは実践的価値のもとに行われていることにあると思われる。それは確かに現実の諸問題に対して局部的に収穫を得ることもあるが,社会現象としてのスポーツの解明,換言すれば,スポーツ社会学における知識の体系化や理論化には程遠く,データの散乱と研究内容の無限的拡大を招く結果になりかねない。そこには,スポーツ社会学における当該研究の位置づけや関連諸研究の体系的整理といった基本的手続きないしはパースペクティブはほとんど省みられていないように思えてならない。
このような問題を打破するために,少数の人々によっていくつかの方策がとられている。多々納はT.パーソンズ(T.Parsons)の社会体系論に基づき,スポーツ体系の構築を目指し,山本はスポーツ行動モデルの構築を試みている。他方,菅原は,スポーツ社会学における基本問題としてスポーツ概念の構造モデルの構築を試み,その成果を公表している。相対的にみれば,前者は演繹的方法に,後者は帰納的方法に基づいている。それは個々の戦略的な視点によるものであるが,前者が方向性の提示ないしは準備段階を抜け出ていないのに比べ,後者はスポーツの構造モデルの構築過程にもかかわらず,スポーツの解明において実りある成果を収めていることを考えるとき,スポーツという対象の特性記述ないしは構造記述さえ不十分なスポーツ社会学の現状にあっては,菅原の試みの方が戦略的にみて有効であるように思える。
本研究はその意味で菅原の試みと軌を一にするものではある。しかし,菅原がスポーツを制度として捉える方向性を示しながら,現段階ではスポーツのゲームの制度化の過程を中心に論じているのに対し,ここでは,現に確立された制度としてのスポーツの構造について考察するものである。それは,社会学の分析カテゴリーないしは対象となる主題の中でも制度は社会構造を構成する要素としてみなされており,また,スポーツ社会学の領域においてもスポーツの全体像を把握する上でしばしば制度としてのスポーツに言及されながら,その具体的内容についてはほとんど明らかにされていないからである。制度としてのスポーツの構造の把握はスポーツの全体像を提えるだけでなく,ある意味で個々の研究を相互に関連づける1つの手立てとなるとともに,スポーツと他の諸制度との関連ないしは相互影響の分析というマクロなレベルでの研究のパースペクティブをもたらすことになるものと思われる。