人間の情報処理モデルとして提出された記憶の2重構造モデルは,記憶研究を刺激して多くの知見を生み出してきた。しかしながら,これらの研究は簡単な記憶材料を用いた実験に基づくものが多く,現実の問題にはそれほど寄与はしなかった。特に短期記憶は情報の一時的な貯蔵とコントロール諸過程を含むものとされたにもかかわらず,日常我々が経験する課題状況における役割はほとんど研究されてはこなかった。直接記憶の能力は短期記憶を測定しているはずであるが,言語理解の過程にはあまり影響しないということが明らかにされている。2重構造モデルのこの様な限界を超えるために,短期記憶の拡張として作業記憶(working memory)の概念へと展開されてきた。単なる語のリストの記憶を超えて,文または文章の理解といった言語理解の複雑な心的過程をも取り扱う時,作業記憶は有効な概念となる。言語理解においては統語的,意味的,語用論的な側面の解析が必要であるが,最も困難な問題は語用論的な側面であろう。言語は文脈によって初めて意味が定まるという文脈依存性を持つ。本論文では,これら作業記憶の背景を概観し,言語理解において作業記憶が果たす役割についての実験的研究の検討を行う。そして,作業記憶の問題点について,分散処理システム及び理解の文脈依存性を手掛かりとして予備的な検討を行いたい。