1.一般に河川下流沿岸の沖積平野には水田が多く立地し,そこで行なわれる農業は水田単作経営が基幹となる。従ってこういった地帯における農業は,いわば水利用の上になり立っており,そこでの農業生産力の発現は水利用の規制を強くうけることとなる。すなわち水稲の生育には用水の適量の確保が必要であり,不足用水量の補給と,過剰水の排除が基本的な問題となる。そこでこういった地帯における土地改良事業は当然のことながら用排水改良を根幹とした農業水利改良事業が中心となり,最近ではその事業も総合的に,しかも大規模化の傾向をとりつつ進展されている。
ところで水利用の具体的方法が因襲的な強固さを保って存続している場合に,これが水利慣行と呼ばれる。もとより慣行的といわれる水利用にも農業経営との結びつきに合理的な側面がないことはない。しかしながら一般にある社会・経済的条件ないし技術的条件のもとで成立した慣行は,条件の変化とともに当然に変更があって然るべきである。それが容易に変更されざるところに慣行の慣行たるゆえんが存在するのかも知れない。現実に経営をとりまく条件の変化あるいは経営自体の技術進歩等があると,固定的な従来の水利用の方法が生産カ上昇ひいては経営発展の阻害条件となる可能性が大きいし,またそのことを指摘した文献も多い。われわれの問題意識の第1点も実はここにあった。ただしわれわれはこの問題に関して実際の水利用主体である個別経営の段階までおりて問題解明にあたることをせず,主として農業水利改良事業の展開とのからみ合いにおいて,伝統的秩序として確立されている水利慣行との関係をみることを主目的とした。個別経営における水利用の問題はいずれ稿を改めて論じたい、
問題意識の第2点は水利用の主導権をにぎる水利団体の性格を明らかにすることである。周知のとおり戦後の農地改革はわが国農業構造を根底からゆるがすところの出来ごとであった。農地改革による生産関係の変革は単に土地に関してのみでなく,おそらくは水についても起ったであろう。特に地主制の顕著であった地帯において,かって水利団体を動かしていた地主層が,地域の水支配からどれだけ後退したか,あるいはしなかったか。この問題については結果的には何も解答を得ることができなかった。その理由は本県が福岡県とともに普通水利組合を認めず,すべて町村組合であったという特殊性による。その意味で問題意識の持ち方に再考を要する点があったし,また地域社会の生活や農業生産構造と緊密に結びついている水管理の担当者であるところの水利団体についてはなお明らかにすべき点が少なくない。
2。調査対象地域は島根県東部に位置し,斐伊川,神戸川の両河川の沖積作用によって造成されたところで,一般に簸川平野と称され,行政区域からいえば出雲市,平田市・斐川町および大社町からなっている。簸川平野に包含される約7,000haの耕地は島根県唯一の穀倉地帯で,耕地面積の4分の3が斐伊川および神戸川からの河川かんがいに依存している。このように簸川平野の農業は河川かんがいに依存した水稲作経営が主体をなしていたために,農業水利慣行は渇水時における用水配分に関するものが多く存在し,藩制時代から現在にまで襲用されてきているものも少なくない。当地域での本格的土地改良事業は,大正12年から着工された斐伊川改修事業により一応水害の脅威からのがれ水利改良の技術的前提が形成されて以降,昭和9年からの一連した県営土地改良事業の実施を中心に展開されてきたのである。簸川平野農業の詳細については多くの文献があるので参照されたい。