島根大学理学部紀要

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島根大学理学部紀要 15
1981-12-20 発行

隠岐・島後の中新統化石層

Miocene Fossil Beds of Dogo, Oki Islands
大久保 雅弘
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内容記述(抄録等)
 島後の地質研究については,富田(1927−32, 1936)の研究が余りにも有名である。その地質図は非常に詳細に描かれていたので,その後の諸研究にはいつも大きな影響を与えてきたし,いまでも大綱は変っていない。たとえば,内水(1966)やHOSHINO(1979)の地質図をみても,基本的な岩相分布は富田の地質図とくらべて大差ないものとなっている。
 これらの諸研究は岩石学に重点がおかれていたためか,堆積岩系の解明については立ちおくれた面があったことは否定できない。島後には,アルカリ岩類の他に中新統が分布しているにもかかわらず,その層序論や年代論にかんする研究は非常に乏しかった。最も包括的な富田の論文(1936)においても,堆積岩系について,化石により年代が明示されているのは上部中新統のみであって,それ以前にかんしては不明確な表現でしか論じられていない。
 筆者はこの数年来,島後の堆積岩系の調査を進めているうちに,富田の地質図に対していくつかの疑問をもった。たとえば,上部中新統の化石層であるT_4Sedimentすなわち島後層群と命名された地層をみると,分布区域により全く異った層相がみられること,地域により化石内容が著しく異ること,などに気がついた。従って,中新統の層序については全面的に再検討する必要を痛感した。しかし,この島には火成岩が広く露出しており,とりわげ後中新世の火山岩類が広汎におおっているために,中新統の分布,とくにその中部階と上部階の露出域はきわめて狭く,かつ,小面積に分断されている。この事実が,島後の層序学的研究を困難なものにしてきたことはいうまでもない。
 他方,近年になって島根大学地質学教室では,進級論文の調査を1977年と1978年の2回実施した。いずれも島の中央部付近の中新統を主対象としたものであったが,この過程で淡水貝Viviparusの発見があり,また頁岩相よりPalliolum peckhamiが多数採集された。これらの化石は,島根半島の中新世化石群に比較したとき,それぞれ下部階およぴ中部階の存在を暗示する資料として注目されるものであった。その後偶然の機会から,東印内型化石群およぴMiogypsina-Operculinaの発見があり,ここに中部階の存在は動かしがたいものとなった。上部階の海棲化石については,すでにその存在は明らかであったが,最近になってさらに多量の試料が追加された。そこで1980年度の当数室卒業論文において,光本清隆・山野井伸行・山崎博史らがそれぞれ都万村,西郷町西南部,およぴ五箇村に発達する化石層を中心に調査を行い,中新統中・上部階の層序と化石内容を一段と明確にした。
 このような経過をへて明らかになってきた古生物学的資料を概括してみると,島後の中新統は能登半島北部のもの(紬野義夫1965)にきわめて類似しているように思える。この点にかんしてはすでに筆者(1980)が指摘したところである。現在のところ,化石の鑑定はまだ終ってはいないが,本論文では古生物学的資料の現段階における要約と,それに基く中新統の生層序について概観し,諸氏のご批判を仰ぎたいと考える。
 本論に入るに先立ち,1977・78年度の進級論文調査に当った諸氏,およぴ1980年度卒業論文の光本清隆・山野井伸行・山崎博史の諸氏からは多くの資料をえたことを感謝する。また,筆者の調査をつねに支援された広田清治(京都大学),現地において助言をいただいた多井義郎(広島大学),糸魚川淳二(名古屋大学),赤木三郎(鳥取大学),徳岡隆夫・高安克已(島根大学)の諸氏にお礼を申し上げる。なお,本研究には昭和55・56年度科学研究補助金(般研究(C))の一部を使用した。