出雲地方は畿内先進地域とは比すべくもないが、それでも小規模とはいえ一定度の商晶生産が棉作を中心として展開していたことは周知のことである。この小稿では別稿「斐川村における村方地主の系譜」(島根大学論集「社会科学」第四号所収)につづくものとして、江戸後期以降、出雲郡=斐川村地域において、どのような形で商品生産が行われたかを、とくに棉作と木棉流通の問題を中心として、その構造的性格を解明しようとするものである。なおまた、商品晶生産=商業的農業と地主制との歴史的な相関のあり方をも、できる限り追求してみたい。