島根大学法文学部紀要. 文学科編

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島根大学法文学部紀要. 文学科編 9 1
1986-12-25 発行

漢代結僤習俗考 : 石刻史料と郷里の秩序(1)

Notes on the Shan 僤 Association in Han China : The Xiangli 郷里 Society as recorded on the Stone Inscription(1)
籾山 明
ファイル
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内容記述(抄録等)
漢代の郷里社会とは、どのような秩序にもとづく世界だったのであろうか。このような問題意識のもとに郷里社会を扱った論考は、意外なことにきわめて少ない。むろん「郷里」と題する論文は少なからずあるけれども、その多くは地方行政制度としての郷里制を論じたものであり、社会の実体そのものを直接の対象とするわけではない。むしろ豪族や家族を扱った論考において、郷里の姿が付随して論ぜられることが多かったと言えようか。かかる制度史研究の意義を、私は決して軽視するわけではない。郷里制に限らず、戦国秦漢期における諸制度の実体と、そこに貫かれる支配の論理を究明することなしには、中国の古代国家を理解することはできないであろう。けだし時に煩瑣にわたる諸制度の存在こそ、中国古代国家を他の諸地域のそれと区別する重要な特徴だからである。この点において、郷里制度それ自体にもなお解明さるべき問題は残されていると言えよう。しかしながら、そのことをもって郷里社会の実体研究に代えることはできない。里民の社会生活すべてが国家の秩序に包摂されていたとは、到底考えられないからである。『後漢紀』桓帝建和元年条によれば、膠東侯の相・呉祐はみずか「民に詞訟有らば、先ず三老・孝悌に命じて之を喩解せしめ、解さざれば祐身ら閭里に至りて自ら之を和せし」めたという。このような例は何も後漢期に限ったことではないが、その背後に郷里社会独自の秩序構造を想定しなければ理解し難い記事であろう。かような郷里の秩序のありかたとそれを生み出した社会の実体との究明を、私は今後――支配の論理の剔出と共に――自らに課してゆきたいと思う。本稿は石刻史料に見える一習俗の考証を通して、かかる郷里の秩序の一端を垣間見ようとする試みであり、先に発表した小文の実証研究の一部をなす。