言語学的意味論を構築しようとする動きのなかで,真理条件に基づく意味記述の方法(truth conditional theory of meaning)を導入する努力がなされている。これは,必要な修正を加えることさえ厭わなければ、十分将来性のある試みである。しかし、問題のひとつは、一時期活発に論じられた論理的前提を文内の意味として認めるかぎり、この方法を言語学的意味論に導入することは不可能だということである、そこで、本稿では,真理条件に基づく意味論を目指しつつ,前提が文内の意味として存在しないという議論を展開する。発話行為理論と論理的合意の関係にも言及し,また多議論の途中でどうしても「外部否定」と「内部否定」の関係についても触れざるを得ない。さいごに真理条件に基づく意味論のモデルを提示するが、そこで,前提なる概念は語用論のレベルで残存可能であることを示す。