「失われた世代」の呼称は,ヘミングウェイの処女長編『日はまた昇る』の見ひらきに引用されているガートルード・スタインの言葉,「あなた方はみんなロスト・ジェネレーションですね」に由来するといわれているが,その本来的な文学史的意味づけとしてではなく,一般に慣用的に用いられている,理念を見失い依るべき何ものかを失って無意味な生活に堕していた第一次世界大戦後の若い世代を指すとした場合,まさしくヨーゼフ・ロート(1894−1939)はその代表的な作家と言えよう。ここにとりあげる彼の初期の小説『果てしなき逃走』(Die Flucht ohne Ende,1927)は,文筆活動をはじめて7年目,ジャーナリストとして大戦後のヨーロッパの混乱と激動を自ら体験する生活のなかで生まれたもので,エッセイ『放浪のユダヤ人』(Juden auf Wanderschaft,1926)や『ツィパーとその父』(Zipper und sein Vater,1928)とほぼ時を同じくしている。『果てしなき逃走』の序として彼は述べている
Im Folgenden erzahleich die Geschichte meines Freundes, Kameraden und Gesinnungsgenossen Franz Tunda.
Ich folge zum Teil seinen Aufzeichnungen, zum Teilsemen Erzahlungen.
Ich habe nichts erfunden, nichts komponiert. Es handelt sich nicht mehr darum, zu "dichten". Das Wichtigste ist das Beobachtete.
Paris, im Marz 1927 JOSEPH ROTH
ここでの「わたしは何も虚構せず,構想しなかった」は,ロートー流のフィクションと見なすべきで,この作品も他の作品と同様に,ユダヤ人としての出自,自身の戦争体験,何かに追い立てられるような流亡の境涯なしには生まれ得ない。小論では,ロートの体験と二重写しになった小説の主人公フランツ・トゥンダの〈自由への果てしない逃走〉を,彼と関わる人物たちとの接触を通して描いてみようと思う。