近年,縄文早期末と前期初頭の境界について,アカホヤ火山灰の降灰を指標として設定する考えが,南九州地方を中心に提唱されている。これによって,九州地方におけるこの時期の土器編年は大幅に再修正され,特にこの地域で盛行する「轟式」細部の型式についての位置付けに変更がせまられることになった。
広域火山灰であるアカホヤ火山灰は,主として西日本一帯に降灰しており,山陰地方においても数ヵ所で検出されている。1994年に実施された島根大学構内遺跡(橋縄手地区)の調査では,厚さ約1~2cmのアカホヤ火山灰純粋層が調査区一面にわたって検出され,さらにその上下層から土器が層位的に出土するという,縄文土器編年の研究上非常に有効な成果に恵まれた。また,島根県松江市の西川津遺跡でも土器包含層の下位から,アカホヤ火山灰に類似する化学組成をもつ層厚約ユ㎜の火山ガラス層が検出されている。この他,島根県瑞穂町の郷路橋遺跡では,層厚10~15cmのアカホヤ火山灰層と,その上下層から遺構面および土器が層位的に検出されている。こうした成果によって山陰地方においても,アカホヤ火山灰層に準拠した土器編年を行うことが可能となった。
山陰地方の土器様相については,九州地方や近畿地方をはじめとした周辺地域からの影響を強く受けていることが示され,その相関が問題とされている。また,アカホヤ火山灰の降灰を外的要因として,土器型式の分布や伝播を説明する考えも示されている。こうした問題の解明を進める意味からも,アカホヤ火山灰に立脚した土器編年を明確にしておく必要があろう。
小稿では,島根大学構内遺跡から出土した土器の分類,編年的位置付けを中心として,アカホヤ火山灰層を指標とした山陰地方の早期末~前期初頭における土器様相の考察とそこから派生する今後の問題点について若干述べるものとする。