昭和三十五年夏、私は邑智郡羽須美村阿須那の旅迫の斎藤秀夫氏(当時四十八歳)から、各種の盆踊り口説き文書をお借りすることができた。その中には七種類の口説きがあり、後日、筆写しておいた。当時のこととてまだコピーというような便利な器械はなく、筆写する以外には写真撮影ぐらいしか、資料化する方法はなかったと思う。
けれども、私にとってはカメラを扱う知識はほとんど持たなかったので、資料を記録するのに筆写することだけを心がけたのである。
ここでは「巡礼お鶴口説き」のほか、題は記されていないが、内容から「善三郎おさぶ口説き(仮称・途中切れ)」。それに「東京地震口説き」、短章型の「念仏踊り歌」。最後に「俊徳丸一代口説き」を紹介しておく。